2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧
それが仮に明示的でないにせよ物語の全体を回想として読者(視聴者)が受け取るということは何を意味するのか?という問い。この問題意識はもとはあるブログに書かれたもので以後、かなり気になっていたこと。ぼくは当初、その答えはある作品に対する批評から…
宣長のいう「もののあはれをしる」について 「もののあはれ」自体はぼくらの日常のそこらへんに存在しうるもの。宣長さんが強調したいのはその感得の仕方、しり方。それを小林流にいうならセンチメタルな感情に溺れずにこころに迎える、ということなのだろう…
ネット時代の文章考 この日記も書き始めのころに比べ、現在はできるだけ文章の体裁をとるようにしている。というのも、過去に書いたものを読み直していなかったと気づき、それを実際やってみたら、自分で書いたはずなのに意味を掴めないという情けない事態に…
『安達としまむら』6巻がぼちぼち読み終わりそう。 うーん、面白い。 島村が蝉を手厚く葬る話は犬のゴンの話につながっていくのか。 6巻の感想を書く前にメモ書き というか、ようやくわかったこと。安達には島村に出会うまで他者ということばに値する存在は…
北野映画は悪意なき残酷さとは違うかなという結論に勝手に至った。 アニメは録画したのを少しずつ見ている。気が向いたら、感想を書こう。『進撃の巨人』は原作はもうそろそろ最終回か。
アメリカでの騒動について Qアノンはオウムに似ているのだろうか?よくわからない。 ただ、トランプは麻原のようにはならなくてよかったと思う。悪い予感は外れたほうがいいに決まっている。 選挙に勝つこととテロを起こすことの違い? 政治への動員というこ…
悪意なき残酷さについて その2 吉本隆明にはこれがあるなと思った。ぼくが彼の書く文章を好きな理由はいろいろとあるが、そのひとつだった。彼はなぜかはよくわからないが、自分の読者にさよならする、されるようなことを言える。すごいなと思う。 島村に関…
先日、読書感想文を書きながら、ぼんやりと考えていたこと。 悪意のない残酷さについて 島村の持つ悪意のない残酷さには嫌なものを感じないが、そうでないものもあるかもしれないという話。 ぼくがコンタクトスポーツを始めたきっかけのひとつがサッカー部の…
犬に送る歌 在りし日と変わらぬ社通り過ぎ かなり遅めの初詣かな
『安達としまむら』5巻を読んで アニメでもみたいなと思う。ニアミスとかどのようにえがかれるのだろうか。川辺のスケッチ、花火の場面が楽しみ。 それと花火について言えば、安達と島村がベランダで見た花火と日野と永藤が永藤の部屋で見た花火は同じもの?…
現在のオタクに関する考察をツイッターで読んだ。主旨としては、かつては作品への愛の深さをアピールするのに知識量でマウントの取り合いをしていたが、ネット社会の出現によって、知識にはだれでもアクセスできるようになり、知識量で愛の深さの違いを示す…
『安達としまむら』の原作は現在、5巻まで読み進めている。ちんたら読んでるわけだが、以下メモ。 全体として回想になっているのか? これは読んでいてもよく分からないなかったので、考えるのは止めた。というか、最後、完結したときに分かるのではないのか…
アニメ脚本のオリジナル部分とかおもしろいなと思った。 ヤシロの「しまむらさんはしまむらさんです」とかオリジナルなのか。 現在4巻まで読み終わったが、結構、日野、永藤、しょーさんのお話がある。 12話の「桜」については原作に答えが書かれていたが、…
小説もあるようだが、読んでいない。また、昨日が初見だったし、録画もしていないので確認する手段もなく、かなりいい加減な話になってしまうが、覚えているうちに書いておこうと思った。 この作品に限らず、そもそもぼくは作品のもつ社会批評性には関心がな…
メモ。夜にちゃんと書こう。 セカイ系の結末にはやはりそれほど興味がわかない。 天気の子は何人いるの? この疑問は自然に沸く。 天野陽菜は確実に天気の子でしょう。 なぜ雨が降り続けているのか?異常気象?それとも天気の子によるもの? で、後者なら雨…
今さっき、テレビで映画『涼宮ハルヒの消失』がやっていたので、途中からではあるが、見た。多分2回目。今日、はっきりしたかもしれない。ぼくは「世界に対する違和感」のような感覚を持っていない。そのことがわかったのだ。前はそんな感覚があったのだろう…