セカイ系なのかしら?
今さっき、テレビで映画『涼宮ハルヒの消失』がやっていたので、途中からではあるが、見た。多分2回目。今日、はっきりしたかもしれない。ぼくは「世界に対する違和感」のような感覚を持っていない。そのことがわかったのだ。前はそんな感覚があったのだろうか?よく覚えていないが、どうなのだろう。不謹慎な物言いになってしまうことを承知で書くと、昨年のコロナ禍、緊急事態宣言が出た後の最初の週末、実は最寄りの駅のショッピングモールに出かけ、ひとっこひとりいない、その様にどことなく心地良さを感じてしまったのだ。ルンルン気分で歩くとかはさすがにしなかったものの、だれもいない中、トボトボと歩きながら、妙な感覚を味わっていた。その延長に「世界への違和感」があるのだとしたら、そういう感覚はある気もする。でも、本作のそれとは違う。目の前に広がる世界が偽物だ、とはその時、ぼくは思わなかった。
「世界の違和感」というよりもこれが現実なのか、とうまく呑み込めないという経験はあった。9.11や3.11など。3.11のときはどうやって家路についたのかの記憶も残っているが、これまた何と言えばのわからない奇妙な感覚である。
違和感というよりも世界の狂気に触れるという感覚はあるかもしれない。これは本作のそれに近いものがあるのだろうか?でも、『廃人の歌』同様におかしいのは自分なのかもしれないし、何とも言えない気がする。おかしいといっても、それほどのものではないように思うが。
それでも、そんな作品をたまに見ると面白いと思うのはなぜなのだろう?『涼宮ハルヒの消失』なら青春物語要素を楽しんでいたということになるのか?
ということで、セカイ系なのか、よく知らないけれど、今日の9時からの『天気の子』は楽しみ。
『安達としまむら』の原作は3巻まで読み終わった。
嫌なことを思い出した。大掃除で読みながらつけていたメモ書きを捨ててしまったようだ。テキトーな紙の切れ端にメモした自分がいけない上に、ひとさまではなく自分で捨てたのだから、始末に負えない。幸い、2巻の途中まではこの日記にもかいていたので、まあ、いいか。
アニメの8話の注目のところは読み終わった。