忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

視点から整理してみるとおもしろい映画だったのかも

 日記のタイトルに結論を書いてみた。

 まあ、どうせお話はどんどん脱線していくので、気にしない。

 そういえば、この日記ではいつからか、意図的に「ぼく」と文章内で明示できる文脈では大体、記述する実験をしていたのだけど、もうやめよう。まあ、そんなこといたって、わすれちゃうんだよね。

 

 以下、メモ

 『リズと青い鳥

 だれ視点の画面構成という問題でもあるし、登場人物たちよる会話のかみ合っている/かみ合っていないの理解をだれ視点で行うかの問題でもある。

 この作品をよく理解できるみたいなことではなく、おもしろくなるかも?みたいな話。

 

 画面構成のほうは、先日の方の感想を読むまで、それほど重要ではないと思っていたが、緊張感の持続という思い付きを書いてから、そうでもないなと。この日記に書いた感想でも、たしか、視点の問題はさらっと書いて流してしまった。

 作者によって視聴者の視点がコントロールされる?これはけっこう、どうでもいいのかも。

 だれの視点か、はっきりとしないもの。こういうシーンは大体、なんだあれ?という違和感。

 新山先生と鎧塚みぞれが理科室で対面して、話す場面とか、だれ視点なのかとかはっきりしない。

 演奏のシーンも、そう。にじんだ画面は傘木希美の視点と思えるけれど、判然としないものもある。

 違和感を生む以上の効果?集中力持続の要求はあるけど、よくわからん。

 まあ、なぜぼくが光遊びのシーンが好きか、という問いを考えているのだ。

 それとラストシーン。あのラスト、上空に浮かぶ何かを見て、目を丸くするみぞれの顔を希美は知らない。作者(視聴者)だけが見ている。(希美はいつもみぞれの前を歩いているので、後頭部に目がついていない限りは、あの表情をおがむことはできない。)

 

 かみ合わない会話というのは作者(視聴者)視点というおは、そうなのだろうけれど、もうすこしこの問題はほじくり返していいのかも。

 クライマックス、大好きのハグのシーンところ。かみ合っていないのだが、希美はそれに気づいているし、みぞれは気づいていない。それは、希美が意図的にやったことだから。いや、もうちょっとちゃんとやらないとだめか。

 

 視聴者視点 希美×みぞれ かみ合っていない

 希美視点 わざとずらした。

 みぞれ視点 ずらされたことに気づかず。

 で、この時点ではふたりとも傷つく。「この時点では」ということを知っているのは、あるいは、傷ついたって、けろっと何事もなかったように生きていくしかないと知っているのは、登場人物たちではなく、すでに高校時代を経験してきたぼくら。

 なんだ、これ?という話。

 

 全然関係ないのだけど。

 絵画で遠近感を生むのは遠近法だけではないのだな。

 光/影の描きこみ、ひとつで奥行きはつくれる。

 たとえば、濃淡の色彩のコントラスト?

 

 画面構成でつくれる遠近感

 物語でつくる遠近感 作者の演出にくわえ、視聴者の回顧(再構成)が必要かも。わかりやすいのは、時間感覚の遠近感か。

 

 絵画でも、遠近法とか、光学とかいろいろなものを影響を受けたのだと思うが、物語のつくりかたもそうなのだろう。アニメは絵とことば、それぞれの遠近感がある。まあ、全然、別種の遠近感のように思うが、これをまぜこぜにした作品とか、あるのだろうか。

 

 まあ、なんの話していたのだっけ?となる。いつもの日記だ。

 

 選挙に関する「ざまーみろ」について

 大物議員の落選とか、知るとそう思わんでもないが、先日の三題噺でもふれたが、マスク着用率、ワクチン接種率から類推すると、もっと投票率は上がってもよさそうなのに、なぜあがらないのか?みたいな。すこし、この点を「ざまーみろ」と思わんでもない。さらに、選挙に際し、あからさまなナッジがなされていれば、もっと明確に「ざまーみろ」と思うかもしれない。(「ざまーみろ」といっているうちに、おかしな状況になって、困るのはお前自身だみたいなお説教はいりません。自分がおかしいという自覚はある。)

 でも、いずれにしろ、ぼくには投票率だけが低い理由はさっぱりわからん。

 マスク着用率とワクチン接種率が異様に高いだけなのか。

 選挙じゃ酔っぱらえない?とすると…うーん。変な感じだ。新型コロナよりも、選挙のほうがリアルなのかも。

 

 アニメ『色づく世界の明日から』

 ちょっとだけ見た。色を失った世界という設定だけでも、すきな感じだ。

 今期ロボットアニメはすべて脱落しつつある。