忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

冬アニメなど

 ここ二日ばかり、早めに就寝している。それで何をしているのかといえば、早起きしてアニメを見ている。居眠りしながらだとよーわからんとなってしまうからだ。

 

 『グラスリップ』1話

 初っ端からぐいぐいととばしていますね。寝起きに見て、目が覚めました。これは時間をとってじっくりと見たほうがいい気がしてきた。

 

 『平家物語』4話

 重盛は過去視、びわは未来視という理解でいいのかもしれない。

 

 びわの体が成長しないことについて

 ①(父の死を目の当たりにして)びわの時は止まっている。

 ②周りの人々とびわの流れる時間が異なる。

 よくわからない。しかし、こういう特徴づけをした以上は視聴者的立ち位置から物語の流れを追うだけの主人公ではないと思う。

 また、体が成長しないことと語り部であることになんらかの関係はあるのか?これもわからん。語り部が主人公というのは後世に語り継ぐ人々の意志こそが主役みたいなことなのだろうか。

 

 その他に気になった点

 未来視ができても、未来を変えることはできないという自覚があるびわ。そこで彼女が無力感に打ちひしがれるのか?たぶん、それはない。よく食べ、元気にしている。おなかが空いてごはんを食べるってことなのだろう。

 

 『明日ちゃんのセーラー服』4話

 明日小路にキャラのテンプレ要素を詰め込むことで他のキャラが生き生きとした印象になっている。ただし、明日にも複雑なところがある。アイドルのまねっこをしているという自覚があり、明るくて元気なキャラに影を落としている。が、このことはそれほど強調されるわけでもなく、よくわからん。今後の展開次第か。

 

 『響け!ユーフォニアム』4話

 高坂麗奈黄前久美子に滝先生をどう思うか、と尋ねていた。久美子の答えを聞いた時、なぜ麗奈は微笑したのか?久美子だけでなく、ぼくにも謎だ。しかし、久美子は正直なのだな。それがすこしおかしかったのか。そんな気がしてきた。

 先日、「笑い」についてこの日記に書いたが、ぼくは日本のアニメにあるこういう「笑い」は好きだ。相手から大笑いをひきだそうとしているわけではなく、話しているだけでお互いになんとなく笑顔になれちゃうみたいな。特別におもしろい話などいらない。「笑い」として見たら、決して上等なものではないのだろう。ひとりでもこういう笑いはできるかもしれない。一方で、求道者的「笑い」というものもあるには違いない。

 音楽もそうなのだろう。芸術としての音楽は本作では高坂麗奈が体現することになるのか。麗奈×久美子とみぞれ×希美の二組は重なるようで重ならないのかもしれない。みぞれは芸術の求道者という自覚なく、求道者になりそうではある。しかし、そういう人を求道者と呼べるのだろうか?変な人ではあるかも。

 歩く時の位置関係 

 麗奈(前) 久美子(後)

 希美(前) みぞれ(後)

 脱線してしまった。なぜ高坂麗奈は久美子に滝先生の感想を尋ねたのだろう。たしかに、滝先生が部員にどう思われているかは知りたいけど。