忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

ちょっと肌寒い

 このところ11月とは思えない陽気が続いていたが、ようやくそれらしい感じになってきた。自然と食生活にも変化が出てくる。

 

 他者問題として

 さっき、散歩で考えたこと。『リズと青い鳥』の2回目の感想文を書こうと思っていたので、それについてあーでもなく、こーでもなくとやってきたわけだが、大好きのハグのシーンでなぜ希美は初対面のときの記憶がないフリをしたのか?

 ありきたりな見方をすれば、希美はみぞれに対して踏み込むことできなかったという理解は成り立つだろう。無論、相手を思いやってのことでもある。が、ここで、強調しておきたいのは、希美からはどうしても踏み込めない領域がみぞれにはあると考えてみると、そのとき、そこに他者があらわれる、そのこと。まあ、他者論とひとくちにいろいろなものがあろうけれど、そのうちのひとつとして、こういう見方はできそうだ。

 他者理解ということばをつかうなら、どうしても理解できない領域がでてくるのか?みたいな話だろうか。ちがうか。

 踏み込めないと理解できないに違いはある。畏怖の感覚の有無?とするとやはり「才能」の問題だろうか。希美がなぜ踏み込めないのか?は希美が自分自身を凡人と自己規定しているところから始まっているのもしれない。

 と書いていると違和感。「才能」が畏怖をうむのか?希美はその要素をとっぱらっても、みぞれに踏み込んでいかないような気もする。それは希美に勇気がないからではない。とは思うものの、それではなにを彼女は怖れているのか?と問われると、判然としない。ここで、人間の尊厳みたいな大風呂敷を広げるのもおかしいような。

 まあ、でも希美はみぞれのことが好きなのでしょう、とお茶を濁してみる。

 誤解ないように書いておくと何でも話し合える友達が大事みたいな話をしているわけではない。むしろ、それとは正反対で、なんでも話し合えるなんてあり得ない、というほうがまだ近い。このことに気づくとなんだろう?よくわからんけど、きっとおもしろくなる。

 スパイはスパイであることを自ら告白してはいけないのだ。うーん、これは違うか。脱線。告白はしてはいけないという一般論。でも、告白は好きな相手ではないだれかにするのだろう。このだれかが人間であるとはかぎらない。というか、人間ではだめなのかもしれない。大きく脱線。

 

 『色づく世界の明日から』

 瞳美はある男の子が描いた絵を見たときだけ、色を感じる。で、ここで疑問。彼女に知覚できる色はその男の子のつかった絵具の色と重なるのか?ちゃんと見ていなかったので、今後はそこはちゅーもくと思ったのである。

 この作品でそういうことをいったら、ファンの人に怒られるかもだけど、希望だとか、夢だとか、愛だとかを一旦、ばっさり切り落として、見えてくる世界のお話として、色のない世界があると考えたくなってくる。

 虚無みたいなお話ではない。世界はそういうものとして、まずは存在しているのだという感じ。

 「生きているのはひまつぶし」って書いたのは、深沢七郎だったか?このことばを見たとき、変だなと思った。死んだら、忙しいのか?みたいな。今度、読んでみようか…

 虚無という感覚がぼくにはわからんというお話。こうしている今も、おなかが空いてきたような気もするしな。

 

 なので、寝る。