メモ その2
コミュ障について
自分がコミュ障か、どうかはひとまず放っておくとして。
『リズと青い鳥』の希美とみぞれのふたりはコミュ障であると思う。
コミュ障を会話のすれ違いに気づかない人と定義すればの話ではあるが…
おそらく、このふたりの会話の場合、お互いに気づいていないのではないか。むしろ、会話がちゃんと通じていると勘違いしているから、落ち込んだりするわけで。酷い言いように思われるかもしれないが、間違った落ち込み方をしているように見える。(見直さないとわからないけど、ちゃんと通じたら、通じたで、問題はあるのかも?)
で、問題はここからで、ぼくは高校生の時の気づいてしまったのだが、朝の忙しい食卓の会話がそんな感じだった。録音はしていなかったが、よーく聞いてみると会話は成立していない。まあ、もっと早くに気づくべきだった。それに、一般化できる話ではないか。でも、それで余計に『桜の園』をおもしろいと感じわけでもある。この戯曲の冒頭は支離滅裂だったはず。
コミュ障といってもいろいろなタイプがあるだけか。
いずれにしろ『リズと青い鳥』の脚本はすげーと思った。映像も凄かったけど。音楽についてはよくわからない。
結論、人類はだいたいコミュ障。で、コミュ障であっても、なんだか会話は通じている気がするので問題ない。いや、あるかも?