6話まで見た感想とメモ
『色づく世界の明日から』
たぶん、ネタバレを書いてしまう。というか、ネタバレをしないように気を付けて書くことができない。
徐々に謎が明かされていく過程は見事だなと思う。
主人公、月白瞳美は精神年齢クソガキレベル。幼い、あまりにも幼い。原因がなにであるのはいまだに見当もつかないが、おそらく、色を失い始めたときから、彼女の精神は時を刻むことを止めてしまったのだろう。
6話で自己催眠的に瞳美は自身に魔法をかけて、葵唯翔の描いた絵画の世界に入っていた。その際に自身に魔法をかけている自覚はないようだ。この種の自覚なく、魔法を瞳美がつかってしまうことを示唆する場面は散見される。(プールや機関車のシーンなど)この点を踏まえると、ひとつの仮説が頭に浮かぶ。彼女は自身に魔法をかけ、己の視界から色を奪ったのではないか?と。
こう書いてみると、よくある中二病的主人公のように思えるし、実際、そうだろう。が、その状態を色を失った視覚として表現するのはおもしろいと思った。
そして、葵唯翔もまた、中二病である。彼の場合は、絵に向き合う姿勢にそれがあらわれる。小学生の時に描いた金色の魚、これは彼の絵に対する思いを表現したものだろう。しかし、6話時点でその魚は死んでいる。
で、この金色の魚は今後、大事な位置を占めていくになるのだろう。瞳美にもそれが見えているからだ。しかも、その時、瞳美の眼にも色が戻ってくるのだ。
今後の展開予測
瞳美は60年後の世界から時間旅行をして、唯翔に出会うわけだが、おそらく、それ以前に彼の絵とどこかで出会っているのだろう。きっと、まだ、彼女の瞳が色を失う前に。そして、これまた、きっと、彼女にとって幸せな思い出とともにその絵があったのではないだろうか。
以上のことから、6話までで、『色づく世界の明日から』は由緒正しい中二病アニメであることが判明した。ぼくは中二病アニメが好きなのだと思う。いまだにぼくは中二病だからかも。
上記以外で気になった点、おもしろい点
月白瞳美と月白琥珀
月白琥珀は瞳美を60年前の世界に飛ばした張本人なのだが、その60年前の世界で、瞳美と琥珀は友達?姉妹?のような関係になっていく。(当たり前の話だが、琥珀も60年前は高校生なのだ。なので、瞳美と同級生。)
当世風にいえば、友達のような親子関係、祖父母‐孫関係。こういうことが言われ始めたのはいつごろからなのだろうか。ぼくの頃にはその種のことばは既にあり、自分の場合、それほどの仲の良くない友達関係みたいな感じだった。それって友達じゃなくね?みたいなツッコミはいらない。
ところで、瞳美と琥珀の関係を友達関係としてみると、その距離感はおもしろい。先日も書いたが、何でも話し合える仲ではないのだ。この作品がラブストーリーでもあるという前置きは必要であったか…
それと先日書いたように今日の日記のあれやら、これやらの要素を全部、薙ぎ払ってみた作品も見てみたい。その先にあるのは、虚無みたいな話だとあまり面白くないかもだが…まあ、あと、瞳美が『進撃の巨人』の世界に生まれていたら、エレンになったのかも?色を失った世界は脳内「地ならし」をやった結果みたいな解釈。
絵を描くことが好き
この作品をつくっている人たちの思いは伝わってくる。自分は何が好きなのか?この問いって難しいものだ。中二病の中心的課題のひとつ。振り返って、自分に向き合うことに多くの時間をさけることできたのは学生時代。しかし、それ自体が勘違いかもしれない。
『白い砂のアクアトープ』にはなにか物足りないとどうしても感じてしまうのはこの点で、物語の先が特に2期以降は気にならない。もう16話までこっちは見てしまったので、最後まで見るとは思うが、なんだろう?よくわからない作品。つまらない、というのというのも違う。くくるは実は魔法を使えるとか?これも違うか…