忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

メモ

 チョコミントを食べているときは最高のアイスクリームはチョコミントではないかと思い、キャラメル味を口に含むとキャラメルが最高なのでは、と思う。何を食べてもおいしいというだけの話かもしれない。

 

 『色づく世界の明日から』11話を見て

 60年というキーワードの一端は明かされた。月の光を60年間浴びた魔法砂でないと時間魔法には使えないらしい。が、10話のラストで月白瞳美が発した問への応答にはなっていないと思う。なぜ、瞳美は60年前に来たのか?その問いに対する答えは宙に浮いている。

 ああ、それに対して知りたいのはこっちだよ、と書いたが、瞳美が知りたいことをぼくも知りたいという意味でもあり、また、同時にぼくも自分がなんでこの時代に生まれたのかみたいな疑問をもつという意味もある。脱線。

 瞳美が色を取り戻すのには高校時代の葵唯翔でなければならないと祖母、琥珀が考えてのことなのだろうか。唯翔の絵にだけ瞳美が色を感じていたところに琥珀は気づいていたのかもしれない。ひとつ疑問なのは、唯翔は瞳美の絵を描いていないのだろうか。たぶん、描いている。

 ここまで見てきて感じるのは、幻想的な表現の中で青春期に特有な悩みを描くというところに作者の思い入れがあるのかな、と。

 

 「雰囲気アニメ」ということばもあるけど、けっこう、その「雰囲気」というものは大事な気がする。内容以上にそちらにアクセントおいて見るのもいいような。小林秀雄のいう通りで、「意は似せやすい」し、型はというと、現代は似せにくいというわけでもないのか。ものすごく嫌な言い方をすれば、物語は順列、組み合わせみたいな発想をつきつめていくと内容なんてなんでもいいとなりそう。これはまた考えてみよう。見るほうとしては内容の読解はどーでもいいと場合もあれば、そうでない場合もあるというだけか。

 

 気づいたら、時間が飛んでいるみたいな描写(あれ?今何やってたんだっけ?みたいなの)とかいいなと思える。他は無理だけど、これはおっさんになった今でもできそう。(不思議ちゃんかよ、というツッコミはいりませんよ?いずれにしても、意図的にできることではないでしょうし。)

 吊革につかまり、目をつむると気づいたら、目的の駅みたいなのは今じゃ無理だと思う。あれは寝ていたのだろう。今は最低限、座らないと眠れない気がする。

 

 それと文化祭は高校時代の一大イベントなのか。ぼくはこれはわからん。なので、余計に?アニメの文化祭のお話には憧れがあり、楽しんでもいる。

 絵の中に入るとか、物語の中に入るみたいなことはこれから技術的に可能になるのかもしれない?ただ、その技術はなにか別のものを達成してしまう気がする。というか、ディズニーがすでにそれをやっているといえるのかもだけど…とてきとーに書いてしまったが、違うな。人間は妄想でそれはもう高度にやっているのではないだろうか。なので、このアニメでやっているように魔法で入り込んだら、妄想とは違うかもと期待したくなるし、科学技術のそれともちがうだろうし、どういう感じなのだろうとは思う。(日常で当たり前のように行なっている妄想以上のことが科学技術で可能にならないとおもしろくはならなさそう。ぼくの予想を裏切てほしいものの、技術的に可能なことは人間の妄想を超えることはないように思う。)

 文化祭の描写が楽しみというお話。

 

 もう、瞳美に色が戻らない展開は期待できないのは百も承知。それにしても、寂しいな。色がわかるフリをしつつ、中二的な在り様を失わない瞳美を想像させてもらえただけでも、感謝です。

 

 劇場版『SAO』は今やっているのですね。知らなかった…そういえば、『fate』も見に行きたいと思っていたら、いけんかった。