忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

テレビでやってないじゃん

 普段、テレビを見ないとかいっているくせに、なにを血迷ったことを…と思わんでもない。が、アニメの話だ。『平家物語』の話。

 

 ある記事で、今さっき、この作品を知った。

 史実にはいない語り部が出てくるという理解でいいのだろうか?

 とすると、この作品は明示的に回顧物語ということになる。

 そして、その語り部は身体的な成長はしないらしい。

 この情報だけで、おもしろそうと思ったが、テレビで見れないのか!!!

 

 というのも、『リズと青い鳥』は疑似回顧物語として理解できそうと考えていたのだ。新山先生と剣崎梨々花の視点からの疑似回顧物語。現在の作者たちは新山先生。高校時代の作者たちは剣崎梨々花。ここでいう作者を山田監督と特定する必要はないと考え、作者「たち」と表記した。時間感覚の遠/剣崎梨々花と近/新山先生を読み込めるが、そのふたつの視点を仮構できるというだけの話であって、明示されるわけではないので、「疑似」回顧物語なのである。こういう構造をもった物語がなにを語りうるのか?というところまではまだ、十分には突き詰められていない。なので、オチなし。先走って書いちゃうと、時間感覚、とくに回顧の不思議というお話になると思う。

 

 話は戻るが、『リズと青い鳥』は成長物語としても、読める。一方で、『平家物語』では身体的には成長しないらしい。興味深い。

 

 実際、見てみないとなにもいえないわけだが、もし語り部を主人公と規定できるのであれば、視聴者の代わりに物語の流れを目で追っている以上の意味合いがあると考えるほうが自然では?

 そこにくわえ、語り部は未来視。重盛は過去視という設定もあるらしい。なぜその能力がふたりに分離したのか?(この疑問が生まれるのは、みんな普通にこのふたつの能力をひとりでやっているので。正確性には難ありなこともあるが。)

 この点も踏まえ、すっきりとした見通しがたつような気もする。

 

 というか、せっかくこうしてメモを残しておくので、テレビではやってくれないのだろうか。もしくは、別のところの配信でもいいのだけど。

 

 ※追記

 つまるところ、歴史を語るとはなにか?という問題に行き着くのか?そこも、こういう作品では注目したい。諸行無常なのか?と書いてみたものの、諸行無常がなんであるかをよくわかってない。