忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

メモ 緊張感を生むもの

 『リズと青い鳥』について

 

 ぼくはお風呂掃除が好きだ。というのは自分でもやや意外な気がする。というのも、特にきれい好きというわけではないからだ。では、それでも、なぜ好きなのか?答えは簡単。水遊びみたいなものだから。そういえば、グラウンドのスプリンクラーでやる水まきも好きだった。できたら、(水を)かけてもらうほうが好きなのだが…

 ということで、『リズと青い鳥』の話を始めるか、というか、アニメのお約束のお話から始めるか。アニメには水着回と温泉回というものがファンサービスとしてあるのだ。たしかなことはいえないが、目の保養的なものとしてあるのだと思う。話の本筋とは何の脈絡もなく、プール、もしくは、海、あるいは、川へ行く話がどこからともなくやってきて、かわいい女の子たちはそこへ行き、そして、そこで繰り広げられるキャッキャッと水をかけあうシーンは見ているものを楽しませてくれる。

 で、先日、とても参考になる『リズと青い鳥』の感想にも、プールに行く話は出てくるのに、そのシーンがないという記述があり、この点についても、恥ずかしながら、そこで、はじめて、その重大な事実に気づいたのである。が、それが描かれなかった根拠は見当がつく。そのいわゆる水着回、温泉回は閑話休題的役割を果たしてしまうからではないか。つまり、プール描写をファンサービスとしてやると、この映画において、生命線である緊張感がゆるんでしまうのだ。

 わかりやすい映画的展開、お話の起伏がないにもかかわらず、この『リズと青い鳥』という映画が退屈しない淵源はそこにある。ひとことで言い切ってしまうと、この映画の要は緊張感にある。

 

 『リズと青い鳥』における緊張はどこからくるのか。

 ①かみ合わない会話

 まず、その緊張がどこからスタートするのか?その地点はわりかし明確で、冒頭10分あたりで始まる会話である。希美が「本番、楽しみだね」というのに対し、ひとりきりになったみぞれは「本番なんか、来なきゃいいのに」と返すのである。もしこの作品がミステリーであったなら、あ、これから、よからぬことが起きるわ、とわかる。

 そして、そんな調子で、主人公であるふたり、希美とみぞれの会話は物語の最後まで、かみ合うことなく、終わる。で、そのかみ合わなさがある結末を予感させ、緊張を生むのだ。

 

 めんどくさくなってきたので、以下メモ

 ②視点の移動(切り替え)

 映像に詳しくないので、頻度等についてはわからないが、だれの視点であるか、はっきりしない場合があり、そのことが視聴者の集中力を高め、この映画の緊張感の持続に寄与している。

 この視点について重要なのは新山先生と剣崎梨々花のものか。明示されているわけではないが、席の位置から、そのふたりと推測可能なケースがある。滝先生のもあったかもしれないが、ぼくは滝先生が嫌いなので…というのは冗談だが、新山先生と考えると、その視点は作者、山田監督に重なってくるのか…みたいな。で、もっというと、剣崎梨々花も山田監督なのか…みたいな。

 そう思えてくるのは、このふたりが希美とみぞれの関係性に変化を生むからだ。

 ふたりの成長物語というよりはふたりの関係性の変わる物語としてぼくは解釈したいのだ。関係性の変化は成長を意味しないから。

 

 みたいなことを考えていると、演奏会本番が描かれなかった問題への解答が見えてくるかもしれない。劇的な展開を思えば、クライマックスを演奏会本番にするとおさまりがいいような気がするが、本作でそこまでやったら、蛇足になったのではないだろうか。ふたりの関係性の物語の終着点は練習、そして、大好きのハグのシーンだったのだろう。

 

 この描き方は『タッチ』もそうだったかも。たしか、甲子園の試合はやっていない。それでも、『リズと青い鳥』はそこから、さらに一歩先に進めた感はある。練習の場面で物語のクライマックスがくるのだから。おおげさな話はしたくないが、部活動ってものは練習が本編なのか。

 

 

 視点に関連する話?関連しないかも。

 光源で生まれる遠近感