忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

メモ

 少しずつ考えたこと

 『リズと青い鳥』は疑似回顧物語としてみるとおもしろいと勝手に思っている。というのは、そういうことが可能になるのは創作物という点による。ぼくも過去の思い出に介入して、いろいろと微修正をくわえたりしたいのだが、いかんせん、実際にはそれはかなわぬ、見果てぬ夢である。というのとも少し違うか。

 虚構と現実みたいな話か。虚構が虚構である認識に立つと、創作物にのめりこめないと感じる人は一定数いのだろう。が、それとは反対に虚構がけっして現実化しないことに感動する人もいるのだろう。

 疑似回顧物語はその種の不可能を可能にする。

 おそらく、高校生の感想だと思うけど、それほどぴんと来なかったみたいな話を見かけたが、そういう感想になるのはすこしわかる気がする。ぼくが高校生だったら、同じような感想をもったかもしれない。

 

 物語の構成について

 構成といっても起承転結、序破急みたいなものは基本で、そこからの逸脱はあるのだろう。まあ、よくわからん。

 まず、想定視聴者が小学生であるなら、その基本通りに物語を進めるのは親切かも。でも、ぼくが小学生の時は、絵が動いているのを見ているだけで楽しかった。『魔女の宅急便』で記憶に残っているシーンはデッキブラシの毛先が本気出すところ。キキに魔法力が戻ったことを毛先の表現で理解した。最初に見たときは話の流れとか、ちゃんと理解していたか、非常にあやしい。主題なんてまったく理解できていなかったように思う。

 脱線。『リズと青い鳥』で演奏会のシーンの省いた点をぼくはとても好きだけど、そのことに関連して、考えていたのだ。

 あと、物語の構成とは別に構造があるという話。

 構成はどちらかといえば、現在進行形で見ているときに関係する要素かも。見ながら、先の展開を予測したりするわけだから、その参照先として、起承転結、序破急はある?予測が外れても、あたっても、どっちでも、これまたおもしろいのも不思議だ。

 構造は見終わって、全体を思い返したときに見つかるような気がする。というか、見終わらないと結論がだせない。

 ふだん、ぼくはなんでもとりあえず、おもしろいといってしまっているが、違う種類のおもしろさだったのかも。まあ、これからもおもしろかったら、すぐにおもしろいと後先考えずにいってしまうだろう。軽率なので。

 物語をどのように語り、進めていくかの構成と物語の構造がかかわりのあるものについてはどうか?『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が典型か。よくわからん。ただ、これは創作に特有なことか。『vivy』もそうかも。物語として作品世界の史実通りに進む構成と歴史の結末を変えるために過去に戻って、変える構造が絡まっている。でも、この作品の複雑性はそこではない、と思うけど。難しいお話だった。(なので、感想は書かずに放置している。)

 物語の語られ方がうまくて、お話の流れを理解しやすければ、その物語が簡単あるいは単純といえるのか?答えはノーだ。

 

 そもそも上記のような人生を生きる人ってのはそうはたくさんいなだろうから、すべて創作ならでは、かも。

 何の話をしていたかを忘れた。

 

 ぼくはあまり構成を気にしないということが、今日のメモで判明した。構造は気になるのか?そうでもないような。じゃあ、なにをみているのか。