忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

答え?を見てしまいました

 それが仮に明示的でないにせよ物語の全体を回想として読者(視聴者)が受け取るということは何を意味するのか?という問い。この問題意識はもとはあるブログに書かれたもので以後、かなり気になっていたこと。ぼくは当初、その答えはある作品に対する批評から文学一般に敷衍できそうな予感があったのだけれど、そうではなさそう。ぼくの予感はよく外れるのだ。

 その方のツイッターで答えが書かれていたのをさっき発見してしまった。『俺ガイル』は顧みることの意識から照射された疑似回顧物語であり、恋愛において、ひとりの男にとって女はある女として限定的に存在しうる。そういう女として描かれているのは雪乃、結衣ではなく陽乃、静のほうであった、というような指摘だった。「雪乃、結衣は遠近法装置でしかない」という評言は見事だなと思ったが、正直、よくわからないところがある。(ただの誤読という可能性は大いにある。これとは別に文学にけおる時制表現の効果という問題設定、回想をところどころに挟む効果、その分析を精緻にやることで何が見えてくるのか、そこが判然としないのでぶん投げたまま放置中。)

 この指摘に対する疑義を呈するというのではなく、顧みるとは何をしているだろう?という単純な疑問。うまく思い出すとうこととは微妙に違うのだろうし、なんだろう。ぼくももう少し歳を重ねないといけないのだろうか。こんなことを考えていると途方に暮れる。あと何度、悲しみに耐えればいいのか。でも、それは恋愛とは少しずれてしまう。歴史のお話になっていくのだろうか?ちょっと混乱してきたな。

 

 それで、ぼくは同じような問いを『安達としまむら』でも立ててみたのだが、どうなのだろう。ってことで完結までこの点については今のところおあずけにしてある。

 6巻時点で言えることは、ヤシロは幼年期の島村であり、島村の妹は幼年期の安達と読めるようになっている。もし小さい時に一緒にいたらというif。で、仮定法過去なのか、仮定法過去完了なのか。そのことを含めて、おあずけ。

 6巻の感想を書いたら、その後の感想は書くか、迷い中。ついつい、余計なことを書いてしまうのだ。軽率なんだろうな。でも、メモを手書きしているとだんだん楽しくなってきて、ブログに書いちゃおうってなるんだよな。

 

 話はその方のツイッターに戻るが、恋愛ってものの怖さについてその後、さらに踏み込んだ発言がなされていた。最近判決がでた事件にしても、これはぼくも含めて、たいていのひとはそこから目を逸らしてしまうのとは違う態度である。検察がある程度世間で受け入れられるようなものに裁判を通して、誘導していくことに対する違和感。

 難しい問題だなと思う。

 サブカルチャー批評とかは結局そこには届かないのだろうみたいなことは思っていた。それがサブカル評の良さでもあるだろう。安心するために接するメディア。安心を提供するためのメディア。この点を踏まえると、テレビメディアにおける踏み込んだ発言とされるものとか、煽るワイドショーとかいう問題はそれほど大したものではない気がしてくる。すべてとは言わないが、多くの場合はそれほど踏み込んではいない世間で許容される範囲内の放言のたぐいであるし、煽ると言っても危うさのはらむような煽りではない。煽るメディアについてはこの問題設定自体が合っていないかもだ。まあ、ぼくは「煽るメディア問題」には関心がない。

 いや、それとは少し違うとこに関心があるな。メディアの問題ではないかもしれない。安心して物事を忘却したい。それが問題。吉本隆明が投げたボールをみんなで見逃し三振、捕手もいないのでボールはどこかに転がっていった。暴投ではなくど真ん中ののボールだったのに。ぼくの知る限り、打ち返していたのは上記のツイッターの方だった。ぼくは遅れてきた吉本ファンとしてボールを拾うこともできなったので、まずそのボールを探すところから始めている。なお、ぼくは野球をちゃんとやったことがないので、野球に喩えたのは失敗だったなと後悔しているが、面倒なので書き直さない。

 

 この恋愛に関する洞察ふれてもう一度読み返してみようと思ったのは、『虚空遍歴』と『老妓抄』。あとは『涙が涸れる』。『安達としまむら』の感想を書いているときもこのふたつの小説を思い出した。『安達としまむら』を読んでいるときに感じたひりつき感のひとつはこのことと関連しているのだろうか。ちと、違う気がする。

 別のひりつき感に関してはあれこれ書いてきたけれど、いまいち自分でも納得できていないので引き続き考えよう。

 

 答えを見た興奮から後先考えず走り書きしたが、後日、読み返したとき意味不明な文章になっているだろう。近日中にもう一度書き直したほうがいいかもしれない。

 全然関係ないけれど、渡航禁止という文字面をみて、禁書になったと勘違いしたひとはいるのだろうか?ぼくはしなかった。