忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

昨日の続きなど

 メモは見つからないので、覚えていることだけ書いておこう。

 『安達としまむら』6巻の感想の続き

 

 独白について

 <しまむらに電話する。

  しまむらに会いたいと願う。

 

  安達と電話する。

  安達が会いたいと言って、わたしは外出する。

 

  しまむらのことを想う。

  想うだけで、背中を丸めて、溢れだしそうなものを抑えて耐える。

 

  安達に。

  しまむらに。>(p.160)

 

 珍しく引用をした。気まぐれである。

 これをアニメでも聞いてみたいと思った。例えば、「安達に」と「しまむらに」というところなどどうなのるのだろう。楽しみ。

 で、以前にも書いた話の繰り返し。ふたりが互いに名前を呼びあうところで顕著になるが、声に出しているわけではないのだから、当然、相手に呼び掛けているわけではないとも読める。だとしたら、この独白はだれに呼び掛けているのだろう?特徴的だと思う。

 もっとも、この部分は本来、そうしたことよりも「安達に」、「しまむらに」の後に省略されたことばを考えるのが先かもしれない。ベタな推測としては「(安達に)会いに行こう」「(しまむらに)会いたい」。実際、それぞれを補ってみると、相手に呼びかけたものではないことがより鮮明になる気がする。

 まあ、アニメ化が待ち遠しい。

 

 百合的悩み しまむら

 告白を受けて、すこし悩んだしまむら。詳しいことは7巻以降となるのだろうか?ぼくがこの小説を読む際の関心事のひとつ。

 

 アニメ視聴時にも気になっていたこと

 島村と樽見がショッピングモールでデートした場面。唐突に殺人事件の話がでてきた。で、その後、小説のほうを読んでも何巻であったかは忘れてしまったが、同じ事件についての話がでてきた。これはなんなのだろう?

 著者の意識的な、無意識的な何かの露出?まあ、ぼくはあまりこういう部分を深読みするほうではない。ただ、自分がどう読んだかは後述する。

 先日の日記で、深夜の渋谷のスクランブル交差点で絶叫していたひとをふと思い出すということを書いた。別に国木田独歩の『忘れえぬ人々』をパクったわけではない。ぼくはこの小説がそもそも好きではないのだから、着想を失敬しようなどとは思わない。どこらへんに不満があるのか?著者の意識的なところが苦手なのだ。あやふやな記憶だがオチが見事だった。褒めているわけではない。むしろ、見事すぎるのがいけない。オチから逆算したのでは?と勘繰りたくなるが、そこらへんはよく分からない。ただ、綺麗に締めくくったせいで、「忘れえぬ」ということばに込められた何かが失われたようにぼくには感じられる。作家の意識的技巧が主題の味わいを損ねたではないかと。

 では、『安達としまむら』ではどうだったのか?意識的技巧を凝らした様子はない。かといって無意識な感じでもない。よくわからないと言えば、わからない。作品の本筋と関係しそうにはないのでそこまで気にするようなことでもない、そんなふうに思っている。

 それでも、自分なりの解釈は残しておこう。日常のひとの行い。ひとは食べ、歩き、眠り、遊び、泣き、笑い、愛し、歌い、殺す。そんな感じ。作風から逸脱した物言いになってしまった気がする。まあ、でも、ぼくはそう読んだ。登場人物にそんな要素があると言いたいわけではない。ある要素がひとのある行為を引き起こすなんて考えがそもそもおかしい。なので、登場人物たちが生きるあの世界でもそういうことが起きている、起こりうる、とでもいえばいいのだろうか。奥行きがでたとか、リアリズムの感覚というものともおそらく違う。