忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

アニメ『安達としまむら』について書きたかったこと

 すっかり忘れていた。

 ところが、今朝がた霊界通信があった。

 夢で犬と川辺を散歩しながら、桜を見ていた。目が覚め、つい最近のニュースの影響かななどと、朝食をとりながらボケーとしていると、思い出したのだ。

 以前から、アニメ『安達としまむら』の「桜」の使い方について文章を書きたいと思っていた。めんどうくさくて、ほったらかしていたまま、忘れていた。「桜」といっても、安達桜ちゃんについての話ではない。アニメでは何話くらいからだったか?桜の花びらの舞い散る、舞い上がる描写が効果的に挿入されていた記憶があり、その効果があってか、最終話は綺麗に終わっていた。

 で、その最終話のクライマックスで桜の映像にたしか重ねられる形でしまむらの独白があり、「桜」について語っていた記憶。

 後に原作小説でそのシーンの独白を確かめると「桜」がなにの比喩として使われていたか、それが判明したわけだが、アニメとは異なる印象をもったのだ。そのことをちゃんと検証していなかったので、それをせねばと思い、はや半年?

 ちなみにぼくは原作も、アニメもどちらも好きだ。なので、その印象が異なる点に関してはどっちが優れているみたいな話をしたいわけでもなく、ただ、そこで気になるのはアニメ化に付随する批評性みたいなものだろうか。

 

 原作→アニメ制作者の解釈→アニメ化、この経路たどる限り、どの作品でもかならず、アニメ制作者の解釈がアニメに反映されると思う。度々、出てきた「桜」のシーンは今でもかなり印象に残っているので、アニメ制作時に、そこはかなり意識してつくられたのではないか?と。

 ちょっとそこを自分の眼で確かめてみたいな、と。

 大事なことを忘れているぞと犬が教えてくれたのかもしれないと思い、日記にメモした。んで、いつやろうか?今週末?あれ?もしかして、漫画でも、桜の花びらがちらちら舞っているのだろうか?(漫画はもってない。)あと、たしか、髪留めも桜モチーフだったような。

 たぶん、「桜」の話は以前にも日記に書いたはずだが、なぜあの時に確認作業をしなかったのだろう?