忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

メモ

 先日、読書感想文を書きながら、ぼんやりと考えていたこと。

 

 悪意のない残酷さについて

 島村の持つ悪意のない残酷さには嫌なものを感じないが、そうでないものもあるかもしれないという話。

 ぼくがコンタクトスポーツを始めたきっかけのひとつがサッカー部のひとと体育の授業でサッカーをやったことと関係している。相手が遠慮なしにがつがつぶつかってくるので面白いなと思ったのだった。スポーツなのだから当たり前なのかもしれないが、これも悪意のない残酷さといえるかもしれない。自分でやってみたときもやはりこれっぽちも悪意などなしにがつがつぶつかっていた。痛いのは自分は嫌いだとはっきりと自覚させられたが。でも、この場合の悪意のない残酷さはぼくにとっては苦手であるものの、醜悪というほどのものではないかと思う。

 それともうひとつ、みんなが大好きなコンタクトスポーツ?(スポーツとかいうと語弊があるが、まあいいか。)はどうなんだろう?そこに悪意のない残酷さはあるのか?

 そんなことを考えていた。

 それにしてもそれらは島村の残酷さほどの面白味はない。島村のキャラクター性ゆえなのか。単にぼくのツボなだけなのか。

 

 書き洩らしたこと

 アニメで見ると11話あたりからだろうか。安達は人づきあいの経験の無さを自覚し、そこからどうにかしたいと悪戦苦闘している。それを克服することを彼女は結果として成長と受け止めるのだろうか?そして、それはこの物語を読者のぼくは成長譚として受け止めるか?ということでもある。うーん、どうなるのか。この手の青春小説の苦手な部分として、なんでも成長に行きつくところだけはどうにも素直に受け取れない。自分のことをそんな風には見てこなかったからという、かなりどうでもいいことに起因しているわけだが、それでも、今後の展開は楽しみ。(成長した結果、何かを達成するってものの見方はなんだか変な感じがする。いや、逆か。何かを達成したら、成長したと見るのが変なのか?まあ、うまくことばにはならない。)

 それと今後の展開として樽見の持っている島村像(「しまちゃん」的島村像)は木っ端微塵に粉砕されるのだろうか?そんなことを少し想像してしまった。そんなところから始まる恋?とはならないのだろうけれど。

 

 先日の感想の最後のほうで書いて、放置している話題

 これはどうするか。得意ではない話題なので逃げるか。

 二つの指向性。精神と肉体。まずこの枠組みで考えるのが妥当なのか、どうか。そんなことを考えたことが無いので、よくわからない。

 ただ、あの文章を書きながら思っていたのは、肉体的な快楽を求めて同時に複数のひとと交際することはできそうだけど、精神的なものを求めて同時に複数のひとと交際することはできるのか?みたいな疑問はあった。ぼくにはわからないが、可能であるなら、どちらも大変そうだなと思える。