忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

わすれないうちに

 葉山に注目しつつ見ることにはするけど、日本論みたいなものとして見るのはやめようと、散歩しながら思った。あの物語における構造の問題。小学生時代にあるひと組の男女が出合い、罪が生まれ、高校生になり罪を背負う男が登場する。この中で葉山はどう描かれるのか。そこに注目したい。

 それとやっぱ鶴見がでてくる林間学校のあたりで平塚先生が比企谷に話をして自分のやってきたことに疑問をいだきはじめたのだっけ?また見てみるしかないか。どこらへんから比企谷は自分のやり方に疑問を持ち始めたのか。