忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

第4話 雑感

 前回の平塚先生シーンについては氷解。

 平塚先生は陽乃とはやはり違うのだな。陽乃はどこか『こころ』の「先生」的である。

 

 あの写真を見たときの口元の見せ方。これだけで結末を示唆してしまっているような。でも、これは細かいことは知らないけれど、結末だけは知っている自分だからわかるのか?全く予習していないひとにはドキドキ感はあるのだろうか?三角関係における同性愛的視点というのはあるような感じ、その三角関係がお互いに知り合いであるという前提が必要ではあるが。

 それとここ2回は由比ヶ浜を中心に描いて、次回からは別の人になるのか?

 思いのほか葉山はでてこないのだなと思ったが、思えばそういうものなのかもしれない。ぼくはたまたま葉山に興味を持っただけの話。それでも葉山グループと奉仕部、それぞれの結末のようなものは見たい。いつの間にか、比企谷はどこかしら軽蔑していた葉山グループのように奉仕部もなっていたことに気づいたわけで。きっとそれぞれ別々の道を歩むのだろうという期待がある。

 

 それと学校というものがなんであるのかという問題。平塚先生みたいな先生は実際にはそんなにいないじゃないかとか、生徒も馬鹿ばかりであんなに考えて行動していないじゃないかとか、そういった指摘をネットで見たわけだが・・・・っ確かにそうかもしれないと思うと同時に、自分もすでに見誤っていたわけだが、由比ヶ浜もものすごくいろいろと考えていたわけだ。そのひとの隣に座っていたあの子の内面も実はそうであってもおかしくはないのではないか。あと学校の先生は保身の意味合いもあるのだろうけれど、よく生徒を見ている。自分の小学校の座席は先生が決めていたが、露骨ないいじめが起きないように配置されていたのを思い出す。中学、高校になってくると生徒との良好な関係を築くためにものすごく悪い言い方すれば、葉山のような生徒をうまく見つけ出し、そのひとを懐柔するような付き合い方をする。中には平塚先生のようにそれとは逆の行動をするひともいるだろうなと思う。それと物語において平塚先生と逆のタイプの先生を悪い先生、つまらない人間と描かれたら、それはそれで違和感がある。そういうあからさまな批判含みの描写に抵抗があるのだ。自分自身がひとさまを批判できるような人間ではないという思いもあるのだが、そういうものを見てもつまらないと感じる。

 ただ、この作品の面白さは吉本の通っていた米沢の高等学校における経験に通じるものがあると思う。校長と生徒のやり取りを見て、吉本は嫌なものを感じた。その嫌なものというのは比企谷が葉山グループに感じたそんなの偽物だよって感覚だと思う。これはスクールカーストの所属とは無関係に生じる感覚だったのではないか。みんながみんなということはないにしてもなんだかおもしろくねえという感覚が生まれてしまうひとはいるのだろう。加えて、吉本も認めていたようにその時の校長の態度を否定はできないという感覚。この作品では葉山グループを決して面白くな奴らの集まりに描かない。ぼくの前で繰り広げられた、あるいはぼく自身も演じた友情茶番劇もけっして茶番とばかりは言い切れない。その点が面白い。