忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

令和になっていたのだなという

 実感はないのだけど、令和にいつの間にやらなっていた。この間、ブログを全く更新しなかった。なにか、書こうという意欲わかなかったということではない。手書きの日記に変えようかなとは少し思ったりもした。考えたことはないけど、手書きの文いうものはすこしまた趣が変わるという感じはする。

 アニメについては『さらざんまい』に関心があったもののまだ見ていない。また悲しい事件もあった。この手の事件が起こるたびに思うのは、自分の気持ちの中で理解が追い付かないということで、ただ理解をしたくないと拒んでいるだけとも思える。テロ事件とみるなら、その動機というものがなにか、その動機とおきたことのバランス、その事件を起こしたものの中でバランスしているのか、それをまた社会はどう了解したのか、ここらへんのこと。思えば、平成の宗教テロでもここらへんのことついて、自分の中では曖昧なままに終わった。『進撃の巨人』の主人公エレンが起こしたテロについては、彼の中ではバランスしてるのだろうと思った。何度も思うだけど、ただ私はテロを起こす人の気持ちはよくわからない。私の中では、自分が完全なる正義を確信していたとしても、バランスすることはないだろうという予感がある。

 また、少し別の話。前々から気になっていたのだけど、何かを読んでいるとき、そのとき、あなたは誰の声が聞こえますか?みたいな話。私の場合は自分の声のような気もするけど、自分の声って物はあまり聞いたことがないし、だれか別の声というものなのだろうか。よくわからない。

 これまた前々から思っているのだけど、「お笑い」ってなに?という疑問。世間とのズレというと偉そうに響いたら嫌なのだけれど、吉本にまったく関心が持てない。正確には中学生くらいの時までは面白いと思ってみていたのだけど、今はまったく関心が持てない。「不良品」発言みたいなものも漏れ伝わってきたのだけど、自分だったらそういう言葉の使い方はしないなと思ったくらいで、なにかものすごい発言のように扱ってることに違和感があった。それはともかく、なぜ関心がないのかというと、テレビをつけなければ、「お笑い」に接することができないのか。それなら自分には「お笑い」不要なものだと思う。無くても生きていける。ただ、後ろめたさみたいなものがまったくない綺麗な世界はものすごくつまらなさそうということはすこし思った。『やがて君になる』という作品からただようそういう雰囲気が私はたまらなく好きだ。正体不明で根拠のない後ろめたさみたいなもの。

 それはそうとして、この読者のいなさそうな日記も継続して書くことが令和の私の目標。