忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

うーん、やっぱりなと

 拉致被害者を取り返すためにお金を使えばよかったという意見が後から出てきた。で、当時の世論のことを思い出してみる。まあ、はっきりしたことは覚えていない。ただ、最初拉致被害者の帰国からしばらくたった2004年当時はイラクで日本人の人質事件が起きていた。まったく関係のない話ではないかと問われれば、返す言葉もない。それでも今でも私の中では未決の問題としてあるのだ。それなににか。

 イラク人質事件に対して身代金を払えばテロに屈したことになり、また、そういうビジネスがうまくいくインセンティブを与えることになるといったような議論があった。わたしにはなんとも残酷な話だと思えたが、こういうことをはっきりと主張できる人はすごいものだなと思えた、と同時に、吉本のいう「共同幻想と対幻想は逆立ちする」ということをこのような形で理解した。家族がいくら願ってもかなわぬこともあるのだなと。自分の意志でいった人質と誘拐された拉致被害者を比べることはできないといわれれば、その通りだとも思うが、わたしはその違いが結果の差に表れて当然とは思わない。(この他にも、その犯罪を行った主体違い等々あげればきりがないくらいにこの二つに違いがあることはわかるのだけど、うまく言うことはできないけれど、なんとも考えれば、考えるほどに嫌になってくる問題、これとは別に湾岸戦争時にお金で解決したことに対する批判なども私は容易には受け入れがたいが・・・)

 で、問題はそこにおわらず当時、拉致問題をお金で解決しようという機運が高まらなかったのか、どうか。世論、輿論の形成がうまくいかなかったとしたら、その点については当時の政権の失策といえると思う。

 また、お金で解決することにしたとして、そのことをアメリカ政府はどう見るのだろうという疑問。積極的に支持してくれるのだろうか。と、ここまでくると日本という国家は結局なんなのだろうと・・・敗戦することで軍事面で低コストで発展することができたというけれど、いざというときになにもできないのか、それが敗戦国ということなのか、そもそも低コストというが、十分なコストを「十五年戦争」で支払ったのに、そのことを国民はしっかり受けいれることができてないのではないかという加藤典洋の『敗戦後論』をわたしはどう受け止めればよいのかとか・・・こんなまとまり名のない思いが当時の私でぐるぐる回っていたのだった。うーん困った困った

 それからまた数年後、東日本大震災があった。今どうなっているのかは分からないが、娘の遺骨を収集するために土地を手放さない父の話をきいたことがある。そのとき、彼は後ろめたさを感じながら、収集作業をしていると話していた。その作業には国も協力的だったが、果たして今はどうなっているのか。

 その「後ろめたさ」というは非常に厄介なもので、本来わたしは「後ろめたさ」を感じながら生きるというのはむしろ非常に健全な生き方ともおもえるのだが、この場合は違う。本来なら、彼はその作業をつづけることに後ろめたさを感じるようなことはあってはならず、そのような感情を彼に強いた社会のほうこそがどうかしてるのだ。

 で、拉致被害者の方がこのような思いになったことはなかっただろうかと。