忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

冬アニメ メモ

 『陰実』19話はおもしろかった。これはちょっと原作を読みたくなってきたかも。ローズの父は最期、なにかを言い切ることなく逝ってしまった。と、その後の展開の落差が本作のだいご味だろう。ローズの切り替えの早さと評言するのはたぶん、ちょっと違う。『東京物語』とかでも、そういうシーンがたしかあった気がする。というか、ぼくもばあさんの葬式は親戚の子(画に描いたようなクソガキ世代)と暴れまわっていたというか、たいしてそんなことはしたくなかったのだが、事の成り行き上、一緒に遊ぶ羽目に。別に悲しんでいなかったというわけではないけど、傍から見るととても悲しんでいるようには見えなかったのだろう。というのもちょっと違うか。ローズとぼくのお話には違うかもだな。

 シドはローズの窮地に駆け付けたというのも、別のなにかを達成しちゃった系なのか。シドの行動原理とは?

 

 『とな天』は主人公の男が駄目人間ではないと思うが。駄目人間とすれば、彼は自覚なく、人の好意を喚起しているということか。しかし、だれかを好きになるというのはそういうものではなかろうか。いつの間にか、どこに魅かれたということでもなく。まあ、なんかそういうことを描こうとしているということになるのか。駄目人間に好意を寄せているのは天使様だけなく、モテモテ陸上部くんも、なのだろう。

 

 『久保さん』もおもしろい。久保さんが白石君に興味をもったのは、隣の席に偶然、なったからか。偶然というのもたしかに大事かも。白石君のモブ感は存在感のなさということか。学校という空間はなんなのか。目立つ子というのは確かにいたな。しかし、なんというか。学校と職場は違う、遊びではないんだみたいなことを本気で思う人がどのくらいいるかは知らんが、そのふたつは同じよーなもんに思えるな。いや、違う。ぼくはそう思っても、そのことはまず口外しない。そう口外する人こそ、学校でも、職場でも同じようなノリで過ごしているよーに見える。気のせいか。

 また、性格の悪さ?ひねくれ?を発揮してしまったようだ。はい、次。

 

 『転天』の弟についてはぼくの見方が誤りであった。のか、どうか、今のところよくわからず。魔石の力にあてられたということんら、ぼくの誤りだが、姉のことも、才女のことも好きなのか、どうかは今のところはよくわからず。

 

 『おにまい!』はやはり性別転換あるあるではないでしょう。見た目の変化がまひろの生活を、生き方を変える話に思える。その見た目もブサイクがかわくなったというのではなく、単にかわっただけという感じなのか。そこはちょっと微妙。登場人物が増えていくことでどんどんおもしろくなっているが、妹は後景に退く。というか、そういう話なのか。妹は兄のことをこれまでも、これからも、後ろから見守るというような。主人公は妹なのかもだな。いや、妹視点で見るとおもしろい作品なのかも。兄を妹的な存在として見ていた妹?よくわからん。

 

 『ニーア』は1話冒頭のモノローグは2B。しかし、これは9S のものと理解すべきなのか。狂気が生んだ嘘の世界。この世界のアンドロイドには感情があると見て良さそう。希望も絶望もあるようだし。

 早々に軽率な発言を残しておくと、ヨルハ部隊は現実のぼくらのようなものか。嘘くさい世界であっても生き続ける。で、そのうち…まあ、この作品すごく好きな人がいるというのはなんとなくわかるよーな気もする。ぼくがすごく好きなるかは怪しいけど。ぼくは世界と自分なら自分のほうに嘘くささを感じる。少子化のまじめな議論を聞いていると笑いだしたくなる程度に世界も嘘くさくはあるが、自分に感じる嘘くささというのは、回顧において強烈に顕現する。うまく回顧できないというか。そのことが悲しいと言えば、悲しい。これも可笑しいと言えば、そうであるかも。

 花江さんも、石川さんもうまい。うまいというか、合っているというか、どっちもか。

 

 世界の虚構性と自己意識の嘘くささをまとめてやっつけたくなるけど、そもそも、別の問題な気もする。

 世界の虚構性は、ぼくの場合、これは子どもの時から、社会問題に対する気後れというような形で現れる。オウム事件問題がそれだった。イカれているのは、オウム教の人々だけじゃないと、当時、感じたのだ。今、こどもたちはコロナ禍でおとなをどう見ているか。そのへんにいるごく普通なおとなに対し、なんだ、こいつらと思っているかもしれないが、たぶん、その子らもそんな「こいつら」になるんだと思う。というか、ぼくは気づいたら、その一員になっていた。