夏アニメ メモ 大きく予想を外したようだ
『Engage Kiss』12話を見た。
予想はかすりもしなかった。よくあることなので、これくらいでは反省はしないが、嘘ソムリエを自称するのは止めよう。
しかし、なぜ、こうもやすやすと予想を外せるのか?
不思議だ、と言いたいところだが、そうでもない。たぶん、おもしろくならないほうに予測しがち、ということなのではないか。『鬼滅の刃』でも、そうだった。序盤の展開を人づてに聞いて、なるほど、少年は妹を守るために人里を離れて、ふたりで山奥で暮らすのか…なんて早合点した。それでは、少年漫画で連載できないとかこれっぽちも想像できない。バトルが起きないと何も始まらないという少年漫画の初歩に気づかない。こういうのも、なにか感覚的な欠落がぼくにあるのかもしれない。まあ、いいや。メタ視点がとれない問題かも?わからん。
キサラが嘘をついていたのが確定した。まあ、そこはぼくもわかったけど、これを外すのはむしろ無理なので、自慢にはならん。
だれが嘘をついたのか?までは12話で十分に理解したが、どんな嘘を?となるとぼくはちょっとわからなかった。
たぶん、シュウの記憶を攻撃力に変換して銃弾化したわけではなく、キサラの記憶をエネルギー源にしていたということよね…この理解であっているのか、ちと怪しい。そうであるとして、話を進めると、キサラは自分の記憶を消費していた点を隠していたことになる。その自己犠牲にシュウは気づかなかったということか。
まあ、ぼくはこういうのをエモいとは感じないかもだな。バレる嘘はエモくなりようがない。視聴者に嘘であるとバレてもいいのだけど、登場人物間では嘘はバレないほうがいいと思う。嘘をついた方が嘘を生きるのがエモい。
シュウがクズだろうが、なんだろうが、好きになってしまったので、しょーがねーみたいなのはエモいかも。いや、エモくはないな。登場人物がそう思うのは、仕方ないと同意できる程度のことか。
あ、若者への文句はこれかもだな。あなたがたはやたらとエモりすぎでは?そんなにエモっていてはさぞかしこころは疲れているだろうみたいな。「神回」同様に、「エモい」を連呼するのも、そうやってアニメを楽しむための技法か、なにかであるなら、その限りではないが…しかし、集団的熱狂みたいな感じだと、ぼくはそういうものを冷めた目で見てしまいますな。冷笑系なので。
まあ、しかし、話題作を友達との会話を弾ませるために見るというのも、若者に固有な事情に思えなくはないので、ぼくのようなおじさんは黙っているほうがよかったのか。でも、この文章は消さんけど。
しかし、これはクソアニメではないでしょうか。半分は誉めことばですけどね。
シュウがやりたかったことって兄妹喧嘩、さらには、母子喧嘩ってことですよね。
ぼくは『刃牙』という漫画を読む気にならないのは、壮大な親子喧嘩みたいなのはなにがおもしろいのか?という問題。
いや、喧嘩ではなく、…とその先は誤魔化そう。
録画してなかったので、週末、一挙配信、見てみよう。
1話見てるのだが、1話からキサラはシュウのことが好きなように見える。というか、放映時、そう見てたけど。シュウにはそれは好きなフリに見えていたのか、どうか。
今ひとつ、12話で明かされた嘘というのを理解できていない。というか、いまだに、ふたりともたがいに嘘をついていたという線も捨てきれない、と思っている。バレてない嘘を探している。
自分で使ってみてわかった。
「エモい」ってことばの軽薄な感じは好きかも。しかし、それでも、きっと連呼はしませんね。
以前であれば、「エモい」とか、「神回」とかいったことばから漂う軽薄さをオタク論として語ることもできたような気がするが、オタクというものを特別視するような時代ではないのだろう。そんな気がする。
なお、ぼくは自分のことをオタクと思ったことはない。傍から見るとオタクにはみえるのかもだけど。
あ、関係ないことを思い出した。
現在は日本劣化論、日本衰退論に対して、その受容のされ方を含め、なにも感じないと書いたが、以前はそういうものを嫌っていた。
それはぼくがナショナリストとか、右翼だからということではない。
むしろ、ナショナリストではないから、日本特殊論の亜種みたいな日本劣化論、日本衰退論が嫌いだった。いや、これはもうちょいややこしい問題だ。左翼でも日本が好きという人はいるだろうし、いつも、日本のことばかり考えている人も多そうだ。
だいたい、去年、バッハさんに「日本の皆さん、こんにちは」みたいなことを言われて、そういえば、ぼくは日本人だったと思い出す程度に、日本人である自覚が薄い。で、勝手に、ぼくみたいな人が日本人の大半ではないか、と失礼ながら、思っている。
「君は酔えない」問題とも言えるのかも。