忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

冬アニメ メモなど

 『おと天』4話まで見た。ひとつだけわかったことがある。天使様はかなり精神的に幼く、一見、ただのクソガキだ。しかし、どうもそれだけではならしいという示唆はある。たぶん、天使様の家庭?境遇?そこらへんの問題なのだろう。作品の中でそういう問題がどのような位置を占めるかまではよくわからず。

 

 『転天』は弟の描写が序盤は誤読を誘うようになされていたのか。よくわからん。

 

 「集団自決」発言は世間的には、もう終わった話題であろうし、ぼくは関心がないくせに言及してしまったのが間違いであったが、比喩ではないらしい。以前の言及は意味のないものになったことだけは確かなようである。

 ただ、比喩でないにしても、ことばが現実に追い付いていないとは思う。文字通り自決する人もいるだろう。なぜ集団にこだわるのか?あるいは、そこへのこだわりはないのか。

 ことばのチョイスは乱暴な気もするが、「問題発言」とされるような内容ではないと感じる。というか、あまり触れたくない問題だけど、世間的に「問題発言」とされるものは、その実、結局は世間はその種の発言を許容するか、スルーするという結果になっている。正確な文言を忘れたが、「不良品同士で殺し合ってくれ」というようなのも、今ではそんな発言があったことすら忘れ去られ、事件の記憶とともに消えていくのだろう。

 今回も、その時も、気味悪い社会だとは思わないでもないが、なんとくなくスルーというのは世間の冷たさを逆に示しているようにも思え、イクニ監督の「氷の世界」とは、そういえば、こんな感じなのか?と。

 まあ、なんというか、こういうことを言ってみたくなる人はこれからも、後を絶たないだろうし、そんなことを言ってはいけないと批判したところで、やっぱり、結局はスルーで終わるのであろうし、スルーで終わるのであれば、大騒ぎするのが変だな、としか思えん。というなんともグダグダな結論にいたる。

 炎上発言をニュース化するのをもう止めちゃえば、と思わんでもない。政治家については特にそう思う。そんなことでいちいち騒ぐのを見せられるのが不快だ。そういう発言を好きやっている人、それを楽しむ人がいるのは世の中、そういうもんだから仕方ないし、ぼくもきっと他人から見て不快なことを楽しんいると思うので。ぼくはいわゆる「美少女動物園」と形容されるようなアニメを楽しんでみている。まあ、いいわけではなく、美少女にはそれほど関心がないけど。といっても、信じてもらえないことはあるだろうし、信じてもらいたいとも思わんが。

 これが、集団自決はしないだろうから、自分がやるとでも言えば、大変な問題発言になるのだろう。実際、対象は異なるが、それ実行した人がいた。

 なんだろうな。その事件についてなにか語ることばをぼくはもっていない。

 また、別の事件になるが、座間の事件については、以前、この日記にも書いた繰り返しになってしまうが、検察が流布したストーリーのほうがぼくには不自然に思えた。

 

 検察で思い出したけど、その恣意性は今回もどなたかが指摘しているだろう。五輪利権なども、なんかよくわからん。権力闘争みたいなものは野次馬としても、あまり楽しめない。

 

 三浦さんについては本を読んだことがないし、ツイッターの発言集のようなまとめを何度か読んだ程度、要は長い文章を継続して読んできた経緯はない。しかし、よく話題に上がる人なので、注目度は高いのだろう。まあ、ざっくりとした印象では本屋でよく見かける。といっても、ご本人をではなく、本を。なんとなく、白洲正子みたいになるのか?みたいな。

 話題になる度に見かける発言についてはよくわからないものが多く、あと、選挙特番における印象もかなり強烈であり、やっぱ存在感がすごいのか。

 「競馬ですったのと同じ」は知っている。この発言はツイッターなのか?、番組内なのか?は知らないが、彼女自身はその境遇ならそう考えるということだろう。なので、それ自体を変な発言とは思わない。試しに山上さんにそういう手紙を出してみればいいのではないか?とは思ったが。だれに向けて言ったことばであるのかも、判然としない。

 これは別に彼女に限ったことではないか。この日記も一応、未来の自分に向けて書いているのだが、必ずしも、そうなってはいない。あと、たまにぼくの知っている犬に歌を送っているけど、そこも曖昧で、犬一般に送っている歌のときもある。

 そういえば、山上さんについて、というか、事件についても語ることばをぼくはもっていないな。まず、よくそこまでなにかを恨めるのだな、と。ちょっとその持続力というのか。ぼくにも嫌いな人はいるけど、そこまで熱心に嫌いでい続けることができないので、まったくわからんという感想になるか、と書きながら、彼とぼくとは全く別人間とも思えず、似たようなところもあるというか、彼もぼくもごく普通の人であるのかも。やっぱ、よくわからん。なので、こういう場合はただ相手のことばを聞くことしかできなくなる。理解できないものであっても、たぶん、そのまま受け取る。で、そのことばは裁判まで待つしかないのだろう。今、漏れ伝わってくる彼のことばは非常に断片的なものであるし、その情報の出し方もコントロールされたものだ。裁判ですべてが明らかになるという期待ももっていないが…オウム事件もよくわからないまま、そして、その記憶も、関心も、こうしている今、薄れていくのだった。あの時、ぼくはたまたま東京にはいなかった。祖母の家に遊びに行っていた。

 なんだろうな。ぼくの場合、憎悪の気持ちとかだけだでなく、何かに対する関心を恣意的に失うのは生存戦略かもだな。自分も「氷の世界」の住人なのだな。

 安倍さんではなく、山上さんだけに言及したのは、単に、年齢が近いからだと思う。少し離れているとはいえ、大雑把に同じような年齢で同じ時代の空気を吸って生きてきた人に抱くなんらかの感情、親近感といのも違うし、なんだろう?よくわからん。

 

 しかし、今日は寒かった。寒すぎて、ホットの缶コーヒーを買ったまではいいのだが、いつもの失敗を繰り返した。飲み干すと空になった缶はすごい勢いで冷えていく。自販機で立ち止まって飲むべきだった。そこでごみ箱に捨てて、心機一転、歩き始めると。それができないから、家まで持ち帰ったが、冷たすぎて、罰ゲーム状態であった。

 あ、カバンに放り込めばよかったのかもだな。