忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

無題

 昨日は散歩に行ってごはんを食べたら、眠くなり、爆睡してしてしまった。おまけに今日は昼寝もしてしまったが、もう眠い。

 

 昨日の続きでなにを書こうとおもったのか、忘れてしまった。

 

 別のお話を書いて、思い出したらでいいか。

 

 2021東京五輪で東京は変わるのか?みたいな話をこの日記でしたが、10年後、思い返されるのは、五輪ではなく、コロナのほうかもしれない。そうであるなら、東京の風景が変わったとしても、五輪ではなく、コロナによって、と記憶に刻まれるのだろうか。

 今年もあと少しか。このまま暢気な年越しを迎えられるといいな。

 

 まあ、こういうこと書いたら、多くの人が不快に思うだろうけれど、このコロナ禍の間、修学旅行や運動会が行われなかったことで「普通の青春」が失われたみたいなことばを何度か目にしたが、その「普通の青春」がないことに公然と口にするわけにはいかないが、ほんの少しだけよかったと思った生徒もいるのではないか。結局、だれかの思いを代弁することばって弱いのだろう。大雑把にみんな、だいたい、同じような思いを抱いていると仮定して、そこにボールを置きに行く。共感する人もいるんだろうけど、そういうことばはやっぱ、ぼくには弱いと思えるな。ぴんと来ないよ。(という感想は当然のことながら、上記のぼくの文章にも当てはまる。)

 

 『白い砂のアクアトープ』19話

 けっこう、ぼくは好き。動物好きであることをどう表現するのか、それが難しいのかも。ぼくは動物はそれほど好きではない。なので、よくわからない。

 それと、くくるの上司の描かれ方。どういう意図でああいう感じなのかは不明だが、ありがちなできる上司演出だったら、なんじゃそりゃって画面にツッコミいれてたと思う。佐藤浩市みたいな感じ?よくわからんけど、そんな人はめったにいない。あとはパトレイバー後藤喜一みたいな人にいたっては、ぼくは見たことがない。

 

 山田さんのフェルメール

 例の事件?ぼくも、あそこにはなもないほうが好きかも。

 平面に立体感、遠近感をどう描きこむか、という話はおもしろかった。フェルメールは当時の技術水準としても、わざと低性能カメラを援用したのだろうか。

 ハイライトについては別の絵でもおもしろいと思っていた。そこから光源の位置が推測できて、遠近感が出てくる。影の落とし方も。