忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

昨日の続き

 『白い砂のアクアトープ』と『神様になった日』

 『神様になった日』はご都合主義的かつ劇的な日常をギャグテイストに落とし込むことで白けさせない工夫をこらしていた。そして、結末はご都合主義を排除した。そこへの賛否はあったみたい?

 『白い砂のアクアトープ』は劇的なことは何も起こらない。ずっとこのまま続くと思った日常すら奪われそうな展開。で、その日常に奇跡はおきないが、度々、挟み込まれる不思議な体験、幻。現実にはまったく役に立ちそうにない幻。でも、なんだか大事な気がするみたいな話なのだろうか。

 幻視体験ってなんなのだろう。『天気の子』の雨に沈む東京みたいなものも映像作家の幻視の映像化みたいなものなのだろうか。

 幻視体験は意識して起こるようなものなのか。

 話はそれてしまったが、置き去りされたというか、見たい時に見れるものじゃ幻じゃない?

 

 ウィズコロナとゼロコロナ

 WHOが疑似問題化するなといっていた話。

 死者数の比較の件。WHOが言っているから正しいということではなく、感染によるものか、経済苦によるものかは、それぞれに別々の対策が必要という点で単純な比較はできないという話なのだと思っていたが、どうなのだろう。

 ウィズコロナは感染を徐々に広げることで医療体制のひっ迫をさけるみたいな話(なので、ウィズコロナ=ノーガードの殴り合いではなく、ウィズコロナでも人流抑制は必要。現在の人流抑制策に効果がある、ないとは別の話。)だと思っていたけれど、人間の想定通りにウイルスが活動してくれるはずもなく?

 ウィズコロナもゼロコロナも人によって全然違う意味で使っているのかも?

 

 『空の境界

 この作品もだいぶ前におススメされていたのをようやく見た。『fate』よりも好きと書いたが、どこがといえば、暗いところ。そして、アツい戦いにならないところ。

 未来視に関するところはよく分からなかったので、時間があるときにまた見てみたい。