メモ
「ただの風邪」とするなら、ぼくの誤読かもしれないが、宮沢さんが以前から、おっしゃるように指定感染症(✕指定感染症、正しくは「新型インフルエンザ等感染症」)から外すのが筋ではないのか?
もし、「ただの風邪」とは現状、認められないとすらなら、その限りではないが、その場合、以前から問題とされてきた「医療ひっ迫」、医療資源の問題となるのだから、2類か、5類か、論争自体にはそれほどの意味がないと認識していたが、これは僕の誤りであるのか。
以上の点をメモし、気が向いたらチェックする。
猪瀬さんが以前から言うような日本人の精神性とマスクみたいなお話は眉につばをつけながら拝聴している。もう、この種の日本特殊論は聞き飽きたし、実際、自分の目にした光景から、日本人の異常性といようなものは感じない。
でも、合唱でマスクとか、将棋でマスクとかは確かに変かも。
日本人はおかしいのだろうか?うーん、よくわからなくなってきた。
外を歩いているときは、だいぶ、マスクの人は減ってきている気がするが、ぼくがあまり周囲を観察していないだけか。
しかし、そもそも今回、隔離を基本にしたのだから、濃厚接触者判定で、マスクの着用の有無が問われたので、屋内は原則、マスク着用になったのは仕方なかった気がする。マスクよりも、隔離を止めるのが先ではないのか?2類、5類論争はこれか?しかし、疑問。指定感染症から外す選択肢はその際、検討されないのか?これも、チェックしよう。
というか、濃厚接触者判定の必要がなくれば、マスクを外す人は増える気がするけど。楽観視しすぎなのか。
※「新型インフルエンザ等感染症」指定と2類、5類という分類は別のお話だったようだ。ぼく自身が混乱して使っていた。「新型インフルエンザ等感染症」指定から外れても、2類、5類という分類は残るので、その分類からも外すか、否かという論点は残るのだろう。外すなら外すでいかなる根拠によるのか。
投げやりな言い方に聞こえるかもだけど、この間、不毛な論争(倫理批判合戦)が多すぎたと思う。2類、5類論争もそのひとつ。運用面ではだいぶ前から、5類運用と聞いた気がするのだが…あと、すべてが、とは言わないが、尾身さんへの批判も感心できないものが目についた。学級委員長かよみたいなのだっけ?行動制限の指導者という揶揄だろうけど、法的根拠を示さなかったのは尾身さんのせいなのか?法のお話なのですよね?と皮肉りたくなる。これと同様に五輪のとき、政府に進言した時も越権行為というような批判も酷かったと思う。あの時、あの種の発言は本来は政治家がしてもよかったのに、政治家たちは口をつぐんでいたように見えたけど。いずれのケースも、政治家が尾身さんに依存し過ぎに見えた。
お忘れかもだが、緊急事態宣言を出しながら、五輪をやったんですよ。
ぼくはまったく医療関係者ではないので、これ以上、尾身さんに肩入れしていると思われそうなメモを残すのは止めようと思う。
相手の倫理的不備をつくような議論が嫌いです。これはもう個人の趣味かもですが、そういうのはやるのも、見るのも嫌いです。上記の尾身さん擁護のように、引きずりこまれえちゃうので。あれ?これはぼくが工夫すればいいのかもだな。今後の課題だ。
先日の補足
麻生さんは少子化でなかったころの日本を懐かしがっていたのだとすれば、あの嫌味は麻生さんにぶつけるのがふさわしいと思った。こどもの数だけで、比較してどーすると思う。
「反転」が何を意味するか?によるのか。
人口減から人口増への反転なら、子育て支援≠少子化対策でいいかもだが、こんなにも非現実的な発言をするとは考えにくいので、おそらく、出生数増を意味するのだろう。それなら、子育て支援≒少子化対策なのかもしれない。
ふざけて言っているのではなくて、どうやらまじめな発言だったようなので?
なお、ウケ狙いというのは好感度アップ狙いという意味ではなく、笑いをとる狙いという意味で先日は書いた。
もうひとつメモ。
今の日本の人口減は亡びたい願望というのを見かけたけど、それはいくらなんでも、深読みし過ぎでは、と思う。みんな、普通に暮らしていたら、なんだか随分と減っちゃいましたね?!というのが実相に近いと思う。今だと、減っちゃいましたね?!!!な感じかも。
亡びたい願望を否定しているわけではない。もちろん、そういう願望もあっていいと思う。
個人的には亡びも、栄えも、どっちも気にしていなかった。人口減がくるというのは知っていたけど、それこそ、どーにもならんよなと思っていただけ。あと、みなさん、この話題が好きですね、と特に深い意味もなく感じてはいる。この話題(「少子化」の話題)が嫌いです。みなさま、まじめくさったことばかり、おっしゃりますので。