忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

亡びる日本が気になって、ということでもなく

 もう世間的には終わった話題でもないか。イーロン・マスクさんの発言が話題になり、これから参議院選へ向かう中で、おそらく主要な論点となるだろう。

 以前にもこの日記で述べたように、もし少子化対策を直接の政策の目標にするなら、それは狂気と思うが、そういうお話を今日、残しておこうとは思わない。先日、ボケーと本棚を眺めていたら、随分、昔に買ったまま大事に保管されていた『日本語が亡びるときー英語の世紀の中で』が目にとまったので、とりあえずページをめくってみたのだった。こういう本の場合、だいたい、ぼくは1ページ目から順に読んでいくというようなことはしない。適当なページを、といっても、だいたい真ん中あたりを開き、そこがおもしろかったら、前にさかのぼってみたり、後ろに進んでみたりといった具合に気ままに読む。初読の小説だと、こうはいかない。

 本の感想を書こうと思ったのに、全然、関係ない話をしてしまった。

 まず、なによりも日本語で書かれた文章を読むことに重点をおくべしという提言には賛成だ。著者のいうように近代日本文学を…という部分にも同意する。が、それはぼくが多分に読むほうが好きということによるかもしれない。実際、ぼくは書くよりも、読むが好きだ。偏っっているから、ぼくの賛意にはそれほどの意義はない。

 

 理解できなかったこと

 『日本語が亡びるときー英語の世紀の中で』は2008となっているが、当時、英語帝国主義という文脈の中でこの本は読まれたのであろうか?とすると、今になって読むとどうなのだろう。著者は英語教育についてはエリート教育で、とはっきりしている。でも、今、現在の英語教育の流れからすると著者の思いに反して、小学校から英語教育をすることになっているのか。

 まあ、ぼくは教育に言及できることはない。

 

 気なったこと

 英語格差よりも国語格差。英語の習熟度の違いによる格差と国語によるそれでは後者のほうが大きいのだろうか。雑な印象になるが、たしかにそうかもしれない。

 

 なんとなく伝わってきたこと

 著者の怒り、というか、憂国の思い。(ぼくはこういう憂国が苦手。そんなにぴりぴりしないでください、といつも思う。)

 著者の考える「日本語が亡びるとき」とぼくのそれとの違い。

 ともかく、久々に怒気のこもった文章を読んだ気がした。ゴロゴロしながら読んでいたので、正座し直そうかとも思ったが、それはしなかった。

 国家としての日本の終わりと文化としての日本の終わりであれば、著者同様に、後者の場合に、日本は終わったとぼくも感じるかも。こういうことも、今のご時世では言いづらいな。

 

 その他に気になったこと

 メルケルさんの話題。日本のネット空間ではメルケルさんへの批判も多いのだろうか。ウクライナ侵攻についてはぼくなんかはもう黙っていようかという感じだ。ソビエト連邦が崩壊した後の混乱期の政治家として見たら、プーチンが異常とは思えないのだが…と書いてしまいたくなる。というか、書いてしまった。政敵を葬ってきたというが、日本でも政治の混乱期であった幕末~明治は随分と血なまぐさい事件が起きたと思う。それにウクライナにおけるロシア系住民を見捨てる/見捨てないという選択の問題。正解なんかないと思うが…プーチンは見捨てない選択をしたということでしょう。この戦争の結果がどうななるかなど、ぼくには見当もつかない。どちらに勝ってほしいもない。

 小林秀雄だったら、「歴史の必然」と言ったと思う。もっとも、そのことばは昭和の戦争について語ったものだ。人間のちゃちな頭で考えて、回避できるようなものではなかったということだろう。そんでも、自国のことではないから、「バカだから反省はしない」とは続けないか。

 

 それと、この侵攻に際し、「死んでいったものに申し訳がたたない」という日本人がいたが、そういう時代なんだと認識した。そのことばは右派の人によるものと思うが、ほんの少し前、コロナ禍においては左派の人が似たようなことば遣いをしていたような気がする。とすると、ちょい前からそんな感じだったのか。

 たぶん、昭和の戦争でも同じようなことが言われていたのだろう。それでずるずるといってしまったのか、どうか。

 無智ないち国民として黙って事態に処すべきか?

 

 当たり前のことかもしれないけど、日本の右派も左派も、戦後、間もなくの人とはずいぶんと違うことを話すのだな。時代も人も変わっていくとは、こういうことか。それ以前に小林秀雄が保守に分類されていたことが妥当であったのか、どうかもぼくにはよくわからん。宣長理解を見ても。

 

 香港の言論弾圧の時

 外からひどい話だと思って見ていたけど、ドキュメンタリーを見て印象は変わった。変わったというか、なんというか。政府の締め付けによって、香港の中でもどんどん転向が起きていた。その様子をみて、転向した人を批判できるのか?ぼくは、それはできないと思った。海を挟んで、遠く日本から転向せずにいる人を応援することの意味とはなんであったのだろう。