忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

メモというか記録

 あまり実りのある話ではないけど、コロナ禍で知りえたこと、それはぼくのような戦後民主主義的価値観にそれなりにどっぷりとつかっている人は嫌われているんだということ。「じぇいりべらる」という名称もあるようだ。わりと全方向的に嫌われているようだし、これはこれで仕方ないのか。

 

 2類から5類へという話

 その前に、ぼくは世界の先進国と比較すれば、日本の感染症対策はゆるゆるだったという認識だったのだが、これはまちがっているのだろうか。そのゆるゆるだった対策であったとしても、そこまでやる必要がなかったという指摘なら理解できるけど、なにを主張されているのかを、多くの場合、理解できない。

 まあ、当たり前といえば当たりまえか。ツイッターとかで単発的にある人の発言を見ても、あまり意味はないだろう。継続して見ていくことなしに理解とかできない。たいていの場合、そこまで関心をもてない人の発言を継続して追うことはない。

 世界と比較してもゆるゆるの対策であったにもかかわらず、日本経済の落ち込みがひどい?国民が過剰に行動を抑えたから?だから、2類から5類にしてそのアナウンス効果に期待する?よくわからん。

 たとえば、2類から5類へという主張する人のワクチンに対するスタンスとか。人それぞれでかまわんのだが、それでも、そこにはどういう理路があるのだろう?他国と比較しても、ゆるゆるであっても、日本ではハイリスク層に限定して、ワクチンはやればよかった。そのうえで、2類から5類へという話ならわかる。

 2類から5類へという問題だけ話されても、よくわからんのだ。

 あとこれは以前にも書いた記憶があるが、5類にすると医療体制によい変化をもたらすのか?

 もうすでに運用は5類相当という話も見かけたのが…

 ①2類に分類され、運用は5類相当

 ②5類に分類され、運用は2類相当

 ①と②にはどういう違いがあるのだろう。保険診療にする、しないの話なのか?それなら、ワクチンはどうなるのだろう?

 

 経済の話はもっとわからん。感染症対策がゆるゆるなのに落ち込みが激しいのは国民性、お国柄?ぼくは政治家を尊敬するのは、ぼくよりも国民性への理解について彼らのほうが確かであると思えるから。そこは党派性に関係なく。ぼくはじぇいりべらるなので、そういうことに関心がないのだ。

 それとも、そもそも日本経済は弱かったの?こういうこともよくわからない。

 だれかのせいにして解決するようなものではないような気だけはする。歴史の必然なんです!と言いたくなってくる。

 

 転向について

 こういう話はやめたらいいのに。以上。

 むしろ現実から遊離して転向しないケースについて考えるほうがいいのでは。

 転向ではなく、発言の妥当性の問題?これは難しいとおもうけど。その時点での妥当性、後になってみたときの妥当性。