忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

メモ

 ワクチンとマスク

 支持を〇、不支持を✕とすると

 ワクチン〇 マスク〇

 ワクチン〇 マスク✕

 ワクチン✕ マスク〇

 ワクチン✕ マスク✕

 どっちもよくわからないから、どっちも、テキトーにやっている/やっていない

 

 いろいろな人がいていいのではないか、と思う。

 ぼくはワクチンは当初、「かのように」戦略なのか、と思い、日記にもそう記した。鴎外の『かのように』はもっと読まれるといいような気がする。社会を安定して動かすための方便になればいいな、という期待があった。日本ではこの期待は外れた。メディアの煽りがそれを上回り、かき消した。

 『かのように』は別に読まれなくてもいいかもだ。小説と限らず、評伝含めた歴史もののほうがおもしろいし。

 ただ、ワクチン慎重派の方々のお話はとても参考になる。最近、動画も拝見したが、ワクチン接種を繰り返した国だけが、というのはその国ごとにワクチン政策の継続する/しないがあるので、そのうち継続した国ではコロナ感染が続いている可能性。

 もしそうなら、社会全体が受けた恩恵は非常に疑わしくなる。ワクチンとの関係ははっきりしないものの、ワクチン副作用の可能性の問題とは別に、専門家による議論を気が向いたときに確認したい。あと、宮沢さんの見通しのほうが正確だったと素人のぼくには見えたけど。

 ワクチン後遺症とコロナ後遺症。こういうのも、ぼくにはよくわからない。そう簡単に比較できるものなのか。

 

 マスクも社会を動かすための方便の側面があったとおもうのであまり批判する気にはならない。マスクをすることで濃厚接触者ではなくなるというお話。こういうのを科学的ではないとバカにする人に欠けているのは社会に対する関心と思う。別にそういう関心は無くてもいいわけだが、倫理的批判に踏み込むはよしたら?と感じることがしばしばあった。マスク推進者はこどものことを考えていない等々。

 

 病院への補助金の問題が尾身さんをつるし上げるネタであるなら、それは問題の矮小化に見えた。問題は本来、進むはずだった病院改革の中でその補助金によって、なくなるはずの病院が残るというような場合か。まあ、もうちゃんとニュースを見ていないので知らない。しかし、その補助金問題と病院改革の関係に焦点化したニュースを見たことなし。今はどうなっているのか。

 そもそも、ぼくはひねくれているので、尾身さんのように泥をかぶり、批判の矢面に立たされるのを承知で仕事を引き受けた人を批判したくない。政治家はこの点で尾身さんに依存し過ぎに思えた。

 

 嫌味をひとつ残しておくと、ネット社会で可視化したこと、意外と上記のような倫理批判合戦が好きな人がいるのだな…と。お互いに批判し合っているのだから、傍観者として通り過ぎるくらいしかできない。

 

 旧統一教会問題

 自民党もこの国の住人なので空気には抗えないとは思っていた。なので、やっぱそうなるのかという印象だ。しかしだ。ぼくも空気に抗うことなんてできていないし?

 大正デモクラシーとか、どうしてああなっちゃったのか?なんとくなくわかるよーな。

 集団的な熱狂が明後日の方向に転換するような決定的事態に至るというのでなければ、ぼんやり見ているしかないのか。もし、そういう事態になったら、ぼくみたいな、そこらへんいる人も、ぼんやりというわけにはいかないのか。そうでもないのか。

 まあ、なんだ。日本人は時々?バランスしないような不合理な選択をするのが不思議だ。