メモ
ぼくもあまりネオリベ批判にはあまり感心できない。日本はそれほどネオリベ社会ではないという指摘はあり、そうだ、とはおもうが。
ネオリベ批判しつつ、できもしない理想を掲げれられても?という感想しかない。
しかし、そういうのがどうもウケるようだし?どーしたもんか…
出生率2を目指すみたいなのも、同様に興味が持てない。そんなの無理だろと思う。
コロナ禍で、医療と権力の癒着批判とかも、ちょいちょい分科会の会長に不利な情報(補助金問題)が「公正中立」なメディアから出てくるのをなんだろ?という冷めた視線で見ていた。
メディア問題もそうか。ぼくはもう紙の新聞を購読していないので、あまりテキトーなことは言えないけど、日本国内新興ネットメディアに大新聞、通信社、NHK の代わりは務まらないと思う。人数が違い過ぎて行政のチェック機能をネットメディアでは果たせないでしょう。すでに、チェック機能が失われているという人もいるのか…とはいえ、たとえば、情報番組などで、どなたかがコメントするためのニュース素材(一次情報)は人海戦術でとってくるしかないのでしょう。
つーか、日本はすでに衰退期かつ混乱期みたいなことを言っている人もいるのだろうか。ぼくは鈍いからか、混乱期とは思っていない。衰退期ではあるのだろうけど。それこそ、混乱期であるなら、明治の時のように、ぼこぼこ新しいメディアが出てくるようになるのか?なんか、そうはならない気がする。
とりあえず、ネオリベ批判をしているとその先に明るく豊かな社会が実現するみたいなイメージはわかない。ちなみに、ネオリベ社会にも明るいイメージを持てない。マックの価格とかでアメリカと日本を比較して、貧しい日本とか言い出す人がいるけど、コロナ禍における白々しいサンデル先生の発言をそういう人たちはどう見ているんだ?という疑問が頭に浮かぶ。
やっぱ、ぼくは自分のことで手一杯なのだ。日本のことを時々、思い出し、日記に書き残そうと思います。(予定)
谷口悟朗監督のインタビュー記事を読んだ。
ぼくは通常、この種の記事というか、本も読まない。と決めているわけではないが、あまり読もうとは思わない。『ワンピース』の映画は見ないと思うので、今回はちゃんと読んだ。
アトラクション性とドラマ性の匙加減についてお話だった。アトラクション性に徐々に重心が移っていっているのか。
アトラクション性というのはけっこうおもしろい指摘に感じた。『リコリコ』が楽しいというのはこれか、とも思った。いや、違うのか。どうなのだろう。
視点の問題なのか。たぶん、映画の臨場感のことを指すのだろう。一人称視点の映画は楽しいのだろうか。ぼくの好みではないかもだ。ぼくは極力、観察者に徹する。観察者としてドラマを見る。といっても、登場人物の視点に同化してしまうケースがないではない。
まあ、なんだ…この記事を読んで、アニメクリエイターから見て、ぼくはそろそろ想定視聴者ではなくなっていくのだな、とは思った。
相手からそう見られるので、視聴を止めるとはすぐにはならないけど、まあ、そうしたら、おもしろいラノベを知るきっかけになればいいやという感じで見ることになるのかも。
そうなってみたときの自分の行動なんて予測がつかない。無理やり、ドラマ性にこだわってみているかもだし?
『BLEACH 千年血戦篇』1話を見た。懐かしかった。以上。