秋アニメ メモ、先日の続き
『うる星やつら』1話
懐かしいというと嘘になる。高橋留美子作品だと『犬夜叉』世代だから。まあ、その世代論的なものはどうでもいい気がするが、1話を見ただけではなんとも言えない。
不謹慎で狂気に満ちた雰囲気になっていくとぼくはニコニコすると思う。
1話だとやっぱ錯乱坊はいい感じだったかも。
安西親子が楽しみって、たぶん、2期以降か。
『陰の実力者になりたくて!』1・2話
主人公のセリフ回しが、陰の実力者としてのセリフに素の人格がにじむセリフがオチとして追加される構成になっているのが特徴なのか。
よくわからん。もう少し、続けてみてみる。
1話目でミスリードを誘うというと語弊があるかもだけど、こういうのの元祖は『喰霊 零』なのか。でも、『喰霊』は本編もおもしろかったと思う。奇策を弄すまでもなく、おもしろいのに、この手法にだけ言及されるのは少し気の毒な気がしてくる。
※転生ものという認識なく見始めたので、学園ものかとぼくが勘違いしただけというお話です。
気になったものをなんとなく見た感じでは『Do It Yourself!!』がおもしろい。
書き忘れた。
『恋愛フロップス』1話
よくわからん。『ときメモ』っぽいということらしいが、『ときメモ』を知らない。ただ、ループものなのか?ゲーム世界への転生なのか?いずれにしろ、恋愛についてのアニメではあるのだろう。
そういえば、夏アニメくらいから、明らかに見る集中力が落ちた気がする。そういう歳なのか?自分で思っているよりも、早くやきがまるのかもだな。といっても、たぶん、理解の仕方が変化するだけなのかもだし、特に気にしてはいない。
忘れかけていたが、日本アニメに今、変化が起きつつある?
先日のアトラクション性とドラマ性の匙加減のお話。
『色づく世界の明日から』で魔法の力で絵画の世界に入っていくというのがあった。それってアトラクションという発想だと思うけど、たぶん、谷口監督はそういう線でアニメも変わっていくと考えているのか?
なので、一人称視点というぼくのことばづかいはよろしくなかった。登場人物、たとえば、主人公視点という一人称視点とは区別され、視聴者視点からというお話なのか?みたいな。で、ぼくはそれっておもしろいの?疑問に思った。
ゲームでは、RPGでそういうのあるよね。RPGをあまりやらんので知らない。
で、『色づく』の時に思ったけど、ディズニーがもうそれをかなりバカバカしいレベルで実現しちゃっているような気がする。(誉めことば)まあ、ぼくはあまりディズニーランドは好きではないけど…
まあ、いちゃもんをつけているわけではない。ぼくにはよくわからないと思ったのだ。
もうひとつのドラマ性を重視せずとも、視聴者が補正を加えて鑑賞くれればというはなんとなく理解できた。ぼくよりも若い人の『リコリコ』の感想はたしかにそんな感じではあった。まあ、それとは別に、ぼくは『リコリコ』については若い人の感性との間に懸隔を感じてしまったけども…
年齢の問題ではないか。
文学観かも。やっぱ、ぼくは文学は暗い人のためにあると思っているので。この思い込みに文句がある人は(お笑いではないほうの)吉本に言ってください。手段は霊界通信しかないので、頑張ってください。
「ー薔薇、屈辱、自同律ー つづめて云えば俺はこれだけ。」、これは埴谷雄高の『不合理ゆえに吾信ず』にでてくる一節だ。かなり中二病度数高めだと思っているのだが、ぼくは残念ながら彼のいい読者ではない。しかし、中二度比べでは負けたくないと思っている。また、暗さでも。
なぜ、突然、この話をメモしようと思ったのか。
「萌えアニメ」というのは『死霊』(しれい)の進化型に見えると前々から思っていたのだ。埴谷ファンには怒られそうだけど、そう思えるのだから書き残しておく。
彼の記憶に残る台湾の風景。そこにいた日本人をどんなふうに見ていたのか。こういうところについて、鶴見俊輔が無粋な解説をしていた気がする。