さっきの補足と書き忘れたこと
気になっていた『無想庵物語』を買いに行ってきた。
昨日は雨が降らないほうに賭け、今日は降るほうに賭けた。
昨日は雨に濡れ、今日は役目のない傘で仕方なく、謎のリズムを刻みながら歩くことになった。まあ、なんとなく楽しい気がしてくるので不思議である。
『ぼっち・ざ・ろっく』についての補足というか、自分用メモ
自虐的ノリが苦手というのはことばが足りていない。
まず、笑える/笑えないの恣意的に引かれた線がある。1話を見た限りでは、その一線を越えずに自虐はあくまでも笑えるネタになっていたが、「きらら系」なので、ちょっと待てよとなったのである。まあ、その一線を越えちゃうのを見れるのかもという期待がある。例はなんでもいいのだが、チノのココアに向ける視線に時々、ヒヤッとした冷たいものが混じる。チノはある意味でココアに対して諦念があるのでは…
で、その線について。『ぼっち・ざ・ろっく』はたぶん、ネットのノリを参照して、その線が引かれている印象。この辺の事情にぼくはちと疎いので、苦手と言った。
今後の注目ポイントはなんだろ。
後藤一人が自分の正体をバンド仲間に明かすのか?成り行きでバレるのか?そういうところだろうか。その際の仲間の反応?
あと、ホモソに言及したのはバンドもそういう感じでは?というぼくの偏見。運動部に固有ではないよね。女子会というのにもぼくは参加したことがないし、ママ友会も同様だが、ともかく、ぼくはホモソ培養装置と勝手に思っている。
あとなんだっけ、忘れた。
書き忘れたこと、それは『アキバ冥途戦争』。
1話ではさっぱりわからない。意味不明のアニメという印象。
昭和といえば、やくざ映画というのは偏見では…という気がするが。それをひとまず、ほっておくとして、なぜメイド喫茶がやくざの組組織のように描かれ、メイドが組員のように描かれているのか?そこからしてよくわからない。
蘭子というメイドは『ブラックラグーン』のレヴィみたいだった。というのはぼくは両手に銃を持っている人をレヴィしか知らない。
よくわからないなりに感じたことは、この作品の主人公のなごみは観察者的立ち位置で、実際の物語の進行に関係するのは蘭子のほうなの?みたいなこと。
キャッチコピー「萌えと暴力について」というものらしいが、ぼくの脳内で勝手に「萌えを暴力に変えて」という間違ったものにすりかわっていた。そもそも、「萌え」ということばはもう死語なのか。あまり見かけない気がする。
うーん。「萌え」ってなに?ぼくは考えたことがない。「萌え」というものについてはよくわかっていないが、いわゆる「萌えアニメ」、たとえば、美少女動物園と呼ばれるようなものをぼくは楽しんでいる。萌えているのだろうか。