忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

反射的にクソ社会とか書いてしまったので など

 先日、話題になっていた国会での質問について反射的にクソ社会と反応した。ちゃんと確かめもせず。なので、日記からは削除したが、気になったので、調べてみた。まったく、よろくしくない質問であるという感想には変わりないが、ちょっと気になる点は残った。大臣の秘書に旧統一教会の信者がいない、そのことに加え、念のための確認として、例の質問がなされたとその切り抜き動画で確認できた。

 やっぱ、この質問の前のやり取りも見てみないとわからんな。

 どうやって、大臣は自分の秘書に信者がいないと確認したのか?直球で聞いたのか?

 国会議員の秘書になるのに信仰している宗教を確認されることは普通にあることなのか?

 思想ならどうなのか?自民党の秘書になる時、例えば、共産主義者であるか、どうかの確認はあるのだろうか?

 どこかの自治体では教員にアンケートをとっていた気がするが、どういう内容だったのか。

 とお話を拡散していくとキリがなくなりそう。なんか、意外とややこしい問題なのか。

 もうひとつ、気になったのは、例の質問が非常によろしくないという指摘はぼくもそう思うが、その言明をする際、旧統一教会に対するディスりをなぜか、前置きにおいてるのを見かける。そんなことをする必要があるのか?邪教とか、とてもじゃないが、ぼくには言えないな。まあ、ぼくの感覚がおかしいのだろうな。

 

 やっぱクソ社会じゃないか、と思えたきた。そして、ぼくはその社会のいちモブ構成員だ。

 なので、先日の軽率発言は後で、再公開しておこう。己の軽率さを含めて、晒しておくとしよう。

 

 秋アニメ メモ

 『アキバ冥途戦争』は3話まで見たが、やっぱぼくにはよくわからん。おもしろいという人がいるのはわかるけど…3話についてはパロディの部分もわからなかった。『あしたのジョー』を見たことがない。あおい輝彦さんが声をあてていることは知っている。

 エンディングの歌はどことなく藤圭子の『圭子の夢は夜ひらく』に寄せているのよね。こういう指摘は無粋かと思い、避けてきた。また、ぼくは当時、この歌がどう聞かれていたのかも知らない。

 昭和テイストをかもすという点では、『うる星やつら』が今期にはあるが、ものすごく、率直に言ってしまうと、近年語られる「昭和」とか、昭和回帰趣味みたいなものがぼくにはよくわからない。映画『三丁目の夕日』に対するわからなさと同じよう感じがある。昭和を生きたばーさんは平成のほうが楽しそうだった。たんに「昭和」を知らないというだけではなく、ぼくには「昭和」に対する憧れがないのだと思う。

 まあ、あと元号でなにかを語るという場合、自分の場合はどうしても、戸惑いみたいなのがあるな。含羞がある。

 

 それと今、この『アキバ冥途戦争』をおもしろいというのは、どこかしら北野映画に対する社会の評価があればこそのような気がしてくる。

 ただし、これも、また、当時を知らないのだが、蓮實重彦さんが褒めなければ、北野映画があのように絶賛されることがなかったのでは…おもしろいというのは、そうなのだろうけど、社会はなんだかんだで権威主義的なところがあるし。北野映画が苦手なのでなんとも言えない。

 まあ、よくわからん。

 しかし、やくざ映画にしても、『あしたのジョー』にしても、当時の社会がそれらの作品を見るとき、当然の前提があった。そういった文脈が失われた現代において、その作品のパロディをやることにぼくはちょっと意味を見出せない。

 別にまじくめくさった素振りをしているわけではございません。

 

 『4人はそれぞれウソをつく』1話。

 お話としておもしろいか、どうかは現時点ではなにも言えないが、パロディ部分がやっぱ古臭く感じる。懐かしいとなる人はいるのだろうし、ぼくなんかはまさにその世代とは思うけど、『カイジ』とか、へーへーボタン?とかあまり知らないのだ。

 

 あと、これは秋アニメの話ではないが、映画『ビューティフルドリーマー』の話題を見かけた。予習をしっかりやる現在の若者の感想か?そのまじめな態度には感服した。しかし、ラムが嫉妬に狂い、次々に登場人物を作品世界から消していったという解釈には異論がある。

 学園祭前日に戻る、このことに気づいた人間が作品世界から消えたのでは?

 学園祭当日は迎えてはいけないのだ。祭りが始まってしまうとすべてが終わってしまうから。ここに退屈な日常を繰り返すという含みはないだろう。大事なのは終わりを迎えてはいけないほう。

 で、この終わらない世界はだれによって見られた夢なのか?それはラム、というのが押井さんの『うる星やつら』批評なのだろう。また、この映画におけるラムは自分が登場人物を作品世界から放逐している自覚は無いのだと思う。

 まあ、ぼくはこの押井さんの『うる星やつら』批評を諒とはしない。

 いつものクセで脱線してしまった。

 ラムが嫉妬に狂う説に対する異論は、ラムはそもそも嫉妬するような人ではないところが魅力なのでは?というものだった。ぼくから見るとラムはあまりにも精神的に健康的すぎて不気味なのだ。

 

 また、脱線すると『めぞん一刻』の八神が好きなのだ。この人の自己肯定感には感心する。ぼくにはとてもまねできない。しかし、ぼくも、自己肯定感が低いというわけもないし、よくわからんん。

 つーか、自己肯定感なんてことばがぼくの思春期には無かったぞ。こういうことばがまことしやかに語られる現代に違和感がある。自己を肯定する/否定するなんてまじめに考えるよーなことでもない気がしてくる。そんなこと考えたって、朝になったら目が覚めるし、仕方ないじゃんみたいな。

 やれやれ、ぼくは目を覚ました。

 

 そういえば、もう朝は寒さで目がさめる。

 もう少し寒くなるとぬくい布団から出たくなくなる。

 が、ひとたび、冷たい世界に飛び出すとシャキッとするので冬も楽しい。