忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

コロナ禍の記録 その5くらい

 記録か、創作か?

 この問いはよくわからない。五輪に反対するデモに関して事実と異なるテロップを映像につけたことがことの発端?

 このニュースを知って思ったのは、この演出を考えたNHKはさすがだな、ということ。日本人がなにを見ておもしろがるのかをよく理解している。

 話は変わるが、小林正樹の『東京裁判』には有名な場面がある。そうだ。大川周明がぽかりとやるシーンだ。これは偶然の産物であり、演出ではなかったように見えたが、編集次第で削ることもできただろう。しかし、実際に出来上がった記録映画では映像として残っている。このシーンを公開当時に見た人は快哉を叫んだのであろうか。

 なんといえばいいのだろうか。この種の通俗性に対する理解度。河瀬監督は理解しながら、そこをくすぐるのか、どうか。ぼくは出来上がった記録映画を見るなら、そこを確かめると思う。(本当はもっと別のところに期待していた。東京という街の変化がどう映像に残るのか?ついて。)

 こういうのははっきりいえば党派性は関係ない。上野千鶴子さんなんかも、うまいなと感心する。嫌味ではなく、感心する。(民放のノリと呼ばれるものは一部、この通俗性に重なると思う。)

 

 ※映画『切腹小林正樹も先述した通俗性とは無関係ではない。なぜあれほど憎たらしいやつに見せることができるのか?ぼくは邦画を継続してみることはやめてしまったけど、ある時代までは確実にこの通俗性があったと思う。そして、その流れはテレビも受け継がれた。最後に劇場で見た邦画は西川美和監督のもので題名はもう忘れたな。

 

 

 政党とメディア

 これはだれか、詳しい人に整理してほしい。

 昔はそもそも「不偏不党」は権力サイドの言い分だったはず。政党が存在しない時代だが。

 明治維新~昭和の戦争で、昭和の戦争時がターニングポイントで以降は日本のメディア状況にたいした変化はないのでは?たぶん、広告の分野も。ラジオ、テレビと新しいメディア登場以降も。ネットでようやく変わるのか、どうか?

 

 あと、ぼくが単純によくわからんこと。

 北海道新聞はかつて道警の暗部を白日の下にさらした。公然の秘密が表に出ただけという人もいるだろう。ロッキードもそうかもしれない。

 ぼくはメディアがチェック機能を果たす気がないのであれば、その存在はいらないと思えるけれど、どこらへんまでが許容範囲なのか。そこがよくわからん。

 実際、北海道新聞はその後、不利益をこうむったと聞く。その影響で他のメディアも含めて、委縮したのだろうか?

 

 冒頭の話題に戻るが、河瀬監督は記録映画に今回のゴタゴタを残すのだろうか?こういうゴタゴタも日本人は大好物かもしれない。