忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

メモ

 finalventさんのツイートで西原理恵子さんに関する話題を目にした。

 たぶん、コロナ禍以前だった気がするが、NHKで一日先生みたいな企画で東京女子大の学生に特別講義をしているのを見た。その話をどこまで書いていいものか、わからんのでぼやけた話になってしまうが、当時は「異世界」の話を聞くような感じだった。父のお話とか。また、女性の生き方として非常に実践的なお話をされていた記憶。NHKオンデマンドで今でも見れるのだろうか。しかし、ぼくは今でも、NHKはテレビで見ている。録画を駆使して。謎の努力だ。アカウント登録がめんどいだけかも。

 で、そのツイッターの話に戻るが、ぼくは「昭和」というものを知らないんだとあらためて思った。それとあの時、関心を持ったのに西原さんの作品をひとつも読んでないことに気づいた。

 この「昭和」の感覚というものをさっき「異世界」的といってみたが、完全にわからないという感じでもない。

 まあ、ぼくにはよくわからないという前提でメモ書きを残しておこうと思った。

 

 山城新伍さんはたしか、『本日またまた休診なり』という映画を撮っていた。ぼくはこの作品を見ていない。ただ、なにで読んだかは覚えていないが、その映画の主役である彼の父に関する話。ふつうの病院では診てもらえないから?やくざの治療をしていたという話だったか。どういう経緯でケガをしたということも関係するのか?とか想像しながら読んでいた。で、この時も「異世界」のお話として。

 

 こういう場合はおもしろいといえば、そうなのだが、まあ、語弊のある物言いかと思う。

 

 どんどんお話がそれていきそう。

 西原理恵子さんにも、上野千鶴子さんにも、大衆性を感じるし、そこが魅力とぼくは思っていた。魅力というのも違うな。ちょっと、そこが怖いし。まあ、でもそこが広く支持されていた気もするのだが…

 しかし、その大衆性にも微妙な差異があるのかと昨日、わかったのだ。

 西原さんには古層の大衆性。上野さんは近代社会の大衆性。まあ、よくわからん。

 

 話はかわるが、宮本常一柳田國男

 こういう微妙な違いは時代が進むとどんどん見えなくなっていくのだろうか?つーか、ぼくにも見えていない。

 漱石と鷗外にもある?

 今は鴎外のほうが圧倒的に人気がなさそうだが、漱石と比較して、鷗外は大したことないみたいな話は眉唾と思う。鷗外は漱石が残さなかったような歴史小説を残している。ぼくはそれを十分に味わえているとは思えんけど、資料的以上のおもしろさがあると思う。前近代的感性なのかは判然としないものの、鷗外のの歴史小説にはそれがあるような。これは、多分に鴎外の資質に依るのでは?と断言できるほど、熱心な読者ではない。

 完全に話が変わってしまった。

 

 話を戻すと、西原さんと上野さんには共通点もあって、売れっ子。売れっ子はどこかで突き抜けることのできなさみたいなものがあるのかと昨日のツイートから学んだのであった。まあ、こういう理解でいいのか?わからない。

 

 まあ、あと古層のスイッチは今でもみんなの中にあってある日、ぼくもそれに目覚めるみたいなのはあるような気もする。これも、よくわからん。

 

 『平家物語』を見て気づいたこと

 安岡章太郎が、高知で思い出したわけではありませんが、戦地での慰安所について書いてた。記憶違いでなければ、川で水浴びをしている娘さんを見ると和んだといったようなお話だった。で、安岡は初年兵であったため、慰安所に行く余裕などなかったし、他者に同情する余裕もなかったと書いていた気がする。

 で、『平家物語』でも海辺だったと思うが、白拍子の娘さんたちが水浴び?というか水遊びをしていた。たしかに、和むものがあった。ぼくはアニメの水着回を誤解していたと気づいたのだった。

 戦乱を背景に、そこからは浮いた、瑞々しい生命力を放ついち光景であったのだろう。

 

 『海辺(かいへん)の光景』の海の描写が強く印象に残っている。が、これはあまり関係なさそうだ。

 

 今日は暑いうちに散歩に出かけよう。

 

 あと、作品に内在する悪という問題にも興味があるが、ぼくの中ではまだまだ不分明な点が多く、とくに書けることはない。上記の内容に関連することでいえば、売れっ子問題か。

 

 あ、吉本による漱石読解はそこをけっこうほじくり返しているのか?わからん。ちょっと違うか。でも、漱石の後期作品群を反宿命の文学と規定しているあたりはおもしろいと思いながら、読んだ。

 

 自分用メモ

 押井監督の作品の中でも『立喰師列伝』シリーズの哭きの犬丸とか、「昭和」的なのだろうか。まあ、でも東京という街のぼくの知らない側面をこの映画で知った。

 

 『ぼくらの』を見たのはだいぶ前だから記憶は曖昧。そういえば、このアニメでもヤクザが出ていた。漫画連載は2004-2009とあるが、アニメを見た感覚としてはもっと前の時代感あり。古くさいというのも違う。この作品も「昭和」的なのか。

 

 あと最近でメディアで語られる昭和は平成ではないのか?みたいな。「昭和」のイメージがバブル期というのは非常に狭い感覚と思う。