忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

冬アニメ メモ

 髪を切ったら、寒い。

 焼き芋はやっぱり粉っぽくてむせそうなほうがおいしく感じる。甘味についてはどんなに甘くても苦手ということはないのだが、焼き芋は例外か。栗もすきだけど、そういえば、たいして甘くないかもだった。

 

 『時光代理人-LINK CLICK-』

 3話まで見た感想

 2・3話はあの時、ああしていればというのが主題か。対して、1話はあの時、ああしなければという話。人間の記憶をめぐる物語だから、写真が重要な位置を占めているのだろう。このところ美術のお勉強をしてわかったことがある。写真は人間の記憶の保持におそらく多大な貢献をしている。画家でなくとも、瞬時に風景であったり、人であったりを画像として、保存できるからだ。ぼくが犬の顔を忘れないのはそのためだ。声についてはもう正確な音を脳内で再生できていないだろう。しかし、なんだろう。あいまいな記憶には曖昧ゆえのよさもあったりするのではとも思う。

 生きているだけで記憶が集積されていくのが人間なのか。この辺の事情に疑似回顧物語という形式の存立はかかわっていそうである。

 2話の二人の関係が主人公、時と光の関係と相似するのか?

 作りこまれている感。特に人間ドラマとして見た場合、どういうものに見るものは感動するのか?、そのポイントを手堅く抑えている感じ。そこが現時点ではぼくにとってはやや不満。こういう不満は展開次第で大絶賛になりうるからおもしろいのだと思う。 

 結果逆算型ではない。ある悲劇的な結果を避けるために分岐ポイントを探し、悪戦苦闘するタイプではない。1・3話では分岐ポイントは明示されている。

 ざっと見たメモ。なんでこんな愚にもつかないメモを残しているのは、ぼくがこのアニメが何の話であるか、理解できていないので。

 感想としてはおもしろい。特に2話の内容が本筋?主人公の関係性の行方を示唆するものであったら、いいなと思った。

 

 ※歴史も絵画によって刻まれた記憶による部分もあるのだろうか。それが現在では写真、映像も関係あるのかも。

 

 『明日ちゃんのセーラー服』

 演劇部ということはアイドル論みたいな話になっていくのだろうか。演劇部といわれると妙に納得。明日ちゃんに演劇はあっている気がするよ。なにものでもなれそう。

 ネットで明日ちゃんがいじめにあわないか心配だという感想を見かけた。うーん。それはぼくもちょっと思ったな。なんでそんな心配を見ているこっちがするんだろうね。そういう社会だから?みたいな方向に話をもっていきたくないけど…うーん。なんだろうな。明日ちゃんが凡庸な子になっていく話とか見てみたい気もするけど、それではおもしろくならないのか。

 とりあえず、おもしろい。

 

 『平家物語』、『スローループ』はまだ見れていない。

 

 「ヒトラー」、「特高顔」、「宗教指導者」

 こういうことばを用いた批判はぼくはあまり感心しない。もう少しまじめに考えろと思う。喩として、レトリックとして使われる対象への洞察の水準が問われる。で、そこをさぼって、ある種のわかりやすさに依拠した批判はそのわかりやすさゆえに通俗的に響き、多くの共感を呼びおこすかもしれないので、それが目的であるなら、そうしてもらって結構だが、ぼくには関係のない話だと書くと、冷笑系といわれるのか。それでもかまわん。

 あと、イラつきながら、ワイドショーだの、朝生だのみないで、ちゃんと睡眠時間をとったほうがいいのでは、と思った。かれらがなにを話したのかも知らなければ、イラつくこともない。でも、イラつきたくて見るみたいなことはあったりするのだから難しいか。よくわからん。ぼくは寝る。

 

 ぼくは東映やくざ映画を批判的文脈で比喩として出すことがある。

 これは関心があるからで、上記のことも興味ががあるから比喩につかったということなのか。

 やっぱぼくも比喩には気を付けよう。って前にも書いた気がする。

 ちなみに、なぜ関心があるのかといえば、その魅力がよくわからないから。部分的にいいなーと思えるところもあるのだけど、どうも人気な部分はそうではないらしいので。まあ、見たのがだいぶ前のことだし、記憶もあいまい。

 高倉健なら、『網走番外地』とか『昭和残侠伝』よりも『居酒屋兆治』が好き。これは東宝だった。主人公が人気なのは理解できるが、それ以上に神谷さよと神谷久太郎がが印象に残っている。