忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

冬アニメのメモ、その他 

 『時光代理人

 4話まで見た。作者がどのように人間を理解したいかが少しだけわかった気がする。人は咄嗟に自分でも理解できない行動をとってしまう。その行動を別人格の憑依によるものとして描いているのが本作の特徴である。うまい描写だと思った。問題はここからで、それではそういう描写がなぜ採用されたのか?そこがこの物語で大事な意味を持つのか?そのへんはよくわからない。ただ、そのような行動を憑依と捉えることで何を本作は語りうるのか?中国文化に関係あるのだろうか?

 また、SF的考察から憑依された感覚があるのか?とか、憑依された後、統一的な自己意識が維持されるのか?とか様々な疑問が生まれそうな気はするが、そこをほじりかえしようがあるのか?やや疑問である。

 でも、おもしろい。

 

 ※似たような描写では『色づく世界の明日から』もうまかった。直前の記憶があやふやな時、あれ?今、自分は何をしていたんだっけ?みたいな様子を時間の狭間?に飲み込まれかける状態として描写していた。こういう日常にある不思議をどう表現するか?そのうまさにしばしばびっくりさせられる。

 

 ただ、そのもっと先を見てみたい。これは贅沢が過ぎるだろうか。

 

 石原慎太郎

 石原慎太郎法華経の関係についての言及を今日、見た。意想外の視点で勉強になる。戦前の法華経の隆盛に関係するのだろうか。

 これまた、ぼくの勘違いか、誤読かもしれないが、丸山が想定していた「亜インテリ」とは石原慎太郎のような人だったのではなかろうか、とさっき思った。彼の宗教的な背景にフォーカスすれば、という前置きはつくが…丸山からすれば、昭和の戦争になだれ込む流れをつくったイデオロギーは出来損ないという評価だったのだろう。しかし、ぼくにはこの辺の事情は理解しがたいものがある。賢い人が作った立派なイデオロギーであったら日本は道を誤らなかったということになるのか?市井に広く膾炙した思想というものをポンコツと即断するのは、ちょっと怖い気がする。

 宮沢賢治岡本かの子中里介山法華経信者だった。というか、ぼくが知らないだけで、もっとたくさんいるだろう。石原を含め、個別的な研究はありそう。宮沢賢治については前に読んだ記憶がある。しかし、ぼくが法華経を読んでないので、あまり理解できなかった。

 さらに言えば、信仰というものがその人の在り方に影響するという感覚はぼくには容易にはつかめない。ただ、そういうものを内に秘めているように感じる人はまれに身近にもいるような。

 衆生の悩みが消えるはずもなく、そういう人々の思いはどこにいってるのか?という疑問はある。

 

 五木寛之と同世代という指摘

 五木は『太陽の季節』だったか、『狂った果実』だったかを読んで、同世代でも全然、違う世界に生きている人間がいることに驚いたみたいな話をしていた気がするが、これも記憶違いだろうか。日蓮親鸞?しかし、ぼくは五木寛之がどう親鸞を理解しているのかを知らない。