忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

そういえば

 「ホモソーシャルジャパン」という呼称は、当初、森さんを頂点とするスポーツ利権をひとつのチームと見立て、勝手につけたチーム名だったが、いつごろからか、日本のいたるところ遍在するホモソ組織をなんでも「ホモソーシャルジャパン」と呼ぶようになってしまった。いい加減なものである。

 上野千鶴子さんが出ていたお正月の特番?は少し見たのだった。「ホモソーシャル」のお話をしていた。見た感想としては、あの種の女子会?じみたものにも、ホモソーシャル性はあると思った。上野さんがボスに見える。ぼくの偏見か。しかし、上野さんが男性に感じていることはその通りであると思った。キモい男、多すぎ問題。キモいとかいうなってことか。じゃあ、鬱陶しいと言っておこう。

 でも、実態はそう単純でもないでしょう。ぼくはホモソ嫌いなのに随分とながく運動部に所属していた。それが可能だったのは、みんながみんな、ホモソ大好きではないからだ。前にも書いた気がするけど、国内における屈指のホモソーシャリスト養成機関で運動部ですら、多数派はホモソ大好きではないのだ。好きでも、嫌いでもない人が大半。不思議なのはホモソ大好きっこがどういうわけが偉くなるということか。

 

 吉本の対幻想は男女の一対を想定しているという指摘をちょっと前に見かけた。これは、事実として間違いと思う。吉本の漱石論とか読んでいないのか?今風なことばでいうと「ノンバイナリー」な世界観で漱石作品を読んでいた。あるいは、晩年の書では、読んでいるこちらが恥ずかしくなるくらいに武田泰淳への思いを語っていた。「ようするに好きってことなんでしょうね」と語っていたぞ。(こっちが赤面)そこにホモソな響きはなかった。が、吉本にもホモソなところがあったとは思う。それにしたって、オウム事件に際し、高橋源一郎さんに放ったことばなど、相当、辛辣であったとは思う。残念なことに、ぼくはリアルタイムでは吉本の言動を追えなかったのだ。生まれる年を動かすことはできないので、仕方ない。

 

 文学における三角関係、西洋と東洋

 この問題も吉本は漱石論の中で扱っていた。まあ、なんでしょうね。三角関係における同性間関係すべてをホモソと裁断するのにはぼくは反対だ。

 この点では『俺ガイル』もすごく好きだ。雪ノ下雪乃由比ヶ浜結衣の関係。

 

 利権ジャパンが話題のようだけど、再エネ利権。

 こういうときこそ、イエロージャーナリズム(死語か?)に触れて、想像力を?創造力を?たくましくして、一億総「陰の実力者」化すると楽しい気がする。

 個人攻撃なんてスケールの小さいことではなく、利権列島ジャパンをそのことによって思想的に解体するのです。現実としては何ひとつ変わっていなくても、なんか少しは楽しくなるよーな?

 ぼくの個人的な趣味でしょうかね。陰謀論のドアノブに手をかけている状態ではあるか。開けなきゃいいのだな。

 『パトレイバー』の漫画版をこどものときに読んだ時も、一番好きだったキャラは週刊誌のインチキくさい記者でしたね。嘘を100発打って、ひとつくらい真実に命中すればいいんだみたいなことを言っていた気がする。もうマンガのほうは捨ててしまい、手元にはない。