先日の続きなどなど
亜インテリ論についてはある本の解説記事だったらしい。
時間があったら、その本も読んでみたいが、いくつかの理由から面倒くさいと感じている。
①ツイッター論という感想
先日、書いたように読後感が亜インテリ論というよりも、ツイッター論であるようにぼくには思えた。ところが、ぼくはツイッターをやっていない。そんな自分が読んで体感的にわからないことがおおそうだなと予想した。また、これも先日、すでに述べたことではあるが、ツイッターよりもまだまだオールドメディアのほうが強そうなので、ツイッター論であるなら、あまり興味を持てなかった。
ツイッターというか、SNSの現代社会における位置づけがぼくにはよくわからんのだ。ふたつほど例をあげよう。ぼくは関心はないが、youtubeで悪ふざけしている動画はテレビ文化の延長線上のものに見える。で、そういうのがそれなりに流行っていると聞くと、youtubeのオールドメディアに対する優位性とかあるのか?と疑問に思う。無論、ぼくにとっておもしろい動画はあるが…
もうひとつはいわゆるインフルエンサーについて。ツイッターのフォロワー数を見ていると、オールドメディアに出て、ついた知名度の優位性が散見される。SNSからオールドメディアへ活躍の場を広げている人もいるのかもしれないが、テレビを見ないので知らない。ぼくにとってテレビはアニメを見るための欠かせない道具ではあるが…
ものすごく雑に言ってしまうと、SNSの影響力というものがぼくにはよくわからん。
②道徳感情へのフォーカス
個人的な問題として、これはかなり重要。吉本がのこした言説でぼくが気になっていることがあるとすれば、そのひとつは(市民)社会の倫理、道徳を超えるものへの洞察である。世間のおおくは、その点で彼が踏み外したと見たようだけど、ぼくにはそう見えなかった。
解説記事で冒頭、吉本に言及にしていたので、読んでみようかとは思った。ぼくの考えている方向性と重なるかはわからない。これまた、雑に言ってしまうと、道徳感情を争点化したくない。そもそも道徳に言及せずにその問題に向き合いたい。だって、みんなそんなに道徳を参照して、行動を決めているのか?そんなに気になるのか?正しいとされる社会規範への迎合が道徳なわけないだろ、以下略。あ…言及しちゃった。
③認知科学の勉強が面倒
これが最大の理由だ。