忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

秋アニメメモ

 『4人はそれぞれウソをつく』は笑いのポイントを理解していないが、見ている。関根のキャラはおもしろいかも。

 

 『水星の魔女』はやっぱよくわからん設定が多い。

 「ガンダムの呪い」は単に兵器として、ガンダムという技術を利用した場合、操縦者に負担がかかるというだけではなさそう。医療にも応用可能というあたりにも、その呪いは関係しているのだろう。

 この辺のお話の作りはもろにコロナ禍の影響だろうか。それとも、ガンダムシリーズの重要な論点で元からあったのか?どっちもなのか。強化人間というモチーフは歴代のガンダムでもたぶん、あったのだろう。シリーズ初挑戦なので、いろいろとわからん。

 エリクトがスレッタの姉なら、エリクトはエアリアルの人柱になったということなのだろうか。もしそうなら、エアリアルは家族というのは事実か。

 『テンペスト』が元ネタ?魔女とか、名前とかからそう判断するのか。うーん。どうなのだろう。お話の流れまで踏襲しないだろう。

 

 『ぼっち』という作品で扱われる「ぼっち」は学校になじめないという意味なのか。学校という空間になじめないから、ひとりぼっちになりがちということかしら。

 まあ、ぼくの通っていた高校は運動会がなくて、よかったとは思える。

 ただ、なんだ…学校という空間というのにすごくなじんでいる人というのも、そう多くはないのだろう。圧倒的多数は得意でも、不得意でもなく、普通にこなせる人か。

 ぼくは後藤ひとりよりの人間ではあるな。というか、そういう人間であったな、というべきか。過去形。

 卒業しちゃうと、卒業さえしちゃえば、その学校が得意でないということも、大したことではなかった気がする。意外と、大学でも?高校の話とかすると、みんながみんな、学校大好きというわけでもなかったことはわかると思うけど。

 そんなことをいわれましても?みたいな思いを現役高校生なら持つのだろう。

 ちなみにぼくは学校だけではなく、いわゆる「がっこうのせんせー」みたいなタイプの先生も苦手だった。しかし、相手も多分、そうで、お互い様ということだっただろう。

 

 今期もボケーとみているわりには楽しいアニメが多い。

 あ、もうひとつメモ。

 なんつーか、後藤ひとりよりも、結愛せるふのほうがぼっちな人に見える。ただ、結愛せるふはぼっちであることを気にするような人には見えない。そういう人もいる。

 あと、なんか服装がだらしないのを見ると昔の自分を思い出す。朝、家を出たときはちゃんとシャツの裾をズボンにしまって出かけはずなのに、昼ぐらいになるとビローンと裾が出ている。まあ、気づくとああなっている。それがすこし懐かしい。