メモ
春アニメをほったらかして、また、『ちはやふる』を見ているが、ぼくがこの作品をおもしろいとおもったのは、家族をそれとなく描いているからだろう。もう内容もあまり覚えていないが、桜木花道の家族とか描かれていたのだろうか。
少女漫画を読んでこなかったので、何とも言えないが、少年漫画で、ぼくが読んできたので家族が主題ではないものの、そこも作品を構成するいち要素として大事な位置を占めるものはそれほどなかったようにも思う。
『D.Gray-man』はその例外に該当するか。『SPY×FAMILY』が少年誌連載というのにも結構な驚きがあった。『鋼の錬金術師』は家族が主題か(、といっても父の問題?)。
でも、もっとさかのぼると『あしたのジョー』とか『巨人の星』とか、家族がふつうに描かれているのか。読んだことないので知らない。
そこを積極的にほじくり返そうという気にはなかなかならないが、主人公、綾瀬千早の家族、綾瀬一家は微妙である。千早は父母との関係も、姉との関係も微妙である。そんでも気になるといえば、気になる。どうして、絵にかいたような円満な家庭にしなかったのか?
真島家も綿谷家も微妙といえば、そうかも?
千早は家庭でも孤立気味。(学校では変人扱いを受けている様子が窺える。孤立とまではいかない感じ。)母も、父も、千早に興味がないわけではなさそうだが…姉のほうにご執心である。綿谷新に出会って、つまり、かるたに出会って千早の生活は一変し、家族との関係も良くなっているとは言える。
全然関係ないけど、安西竜之介親子がとても好きなんですよね。
※なんの脈絡もなく桜木花道をひっぱりだしたわけではない。絵でスポーツをやっている姿をかっこよく見せる漫画ということで思い出した。『ちはやふる』はかるたをやっている姿をかっこよく見せる。人間もかっこいいが、札を一枚だけ綺麗に払って、手裏剣みたいに飛んでいき、襖にささるのかっこよすぎる。
千早の独白
「わたし、もうひとりじゃないよ」といった千早の独白は綿谷新に話しかけているんだと思う。こういうのをどう解釈するかで、作品世界は変わるのだろう。たとえば、「わたしもうひとりじゃないよ」を単純な事実の言明としてみたら、視聴者への説明となり、それ以上はほじくりかえしようがない。
ぼくのように綿谷新への問いかけと理解すれば、「わたしはもうひとりじゃないよ」から「新は仲間ができた?」という続きを連想できるし、千早の頭の中にはいつも新がいると考えることもできなくはない。
また、太一へ話しかけていると見ることも可能だろう。
どれが正解ということもない。ただし、解釈可能性をいくつも並べるのが視聴者の任ではない。その中から自分にはそのようにしか見えないというものを選び、視聴者は視聴者の作品世界を再構成しているのだと思う。
うーん。困った。ぼくは選択の際、どこで判断しているだろう?たぶん、無意識に解釈可能性を一つひとつ、潰しているんだと思うけど。
結末から逆算して、つじつまの合うように?
好き嫌い?
いい加減にやっている気がする!