忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

結局、夜更かしをして

 アニメ『ちはやふる』の3期を見てしまった。なので、メモ。

 

 3期は原田先生がメインの序盤から中盤

 この部分は、千早が過去の自分と今の自分の違いを認識したりしていた。

 それと周防名人の紹介、猪熊元クイーンの紹介。

 周防名人はかるたが好きではない人ということでいいのだろうか。

 ちょっと、話はそれるが、作者の特徴?物語への家族問題の挟み方?その前に、主人公の千早含め、画に描いたような幸せな家族は出てこない。一番、まともそうな綿谷新の両親すらも、東京進学でかかる費用から、…という感じ。

 画に描いたように幸せな家族なんていないといえば、そうなのだろうけど。

 どんどん話が逸れていってしまうが、だから、学校ものとか、青春ものとかで友達とかが大事な要素になるのか。なんか当たり前のことに今更、気づいたのか…要は、家庭だけではダメなのだろうし、学校だけでもダメなのだろうし、こういう点でも、『メイドラ』はいい作品だったと思う。トールがメイド喫茶でバイトを始めることがお話としてはかなり大事だったんだな。『メイドラ』はそういう部分に特化した作品とも、いえるので。人と人との関係性が重層的に描かれる。

 

 家族の話はひとまずほっておこう。

 とりあえず、いえるのは、家庭でもなく、学校でもなく、かるたをする場所というのがこの作品では重要だろう。とくに、主人公である千早にとって。

 

 意外だったのは、太一が新の眼鏡を隠したというか、盗ったのは大事なエピソードだったのだな。なんといえばいいのか。重要ではないとは思っていないが。太一が(愛の)告白をする前に、(罪の)告白をしていた。小学生時代の出来事がここまで大事だったとなると、これまでのぼくの解釈は修正が必要だ。この漫画は恋愛モノだったのか。

 ただ、太一は肝心なことを忘れているような。太一が千早を意識するようになったのは、千早の目の前に新という転校生が現れてからではないか。もっと、はっきり言えば、新のことを好きな千早「だから」好きなったのではないのか?そのこと。

 別に太一は忘れているわけではないのか。

 しかし、3期の終盤を見ると恋愛の部分は物語上、大事だったのかと理解した。様々な論争があったのか?までは知らないが、太一厨とか、新厨ということばあるのが不思議だったが、それほどおかしなことではなかったのだな。

 

 しかし、それでもなお、三角関係の結末自体はそれほど大事には思えない。

 さらにいえば、かるた勝負の勝ち負けの結末も大事には思えない。

 この作品に限らないが、結末まで描く、その気力にはどの作者に対しても、敬意を持つが、ぼくが読者、視聴者として気になるのはもっと別の点だ。

 この作品でいえば、千早、太一、新の三角関係を通して、なにを描こうとしているのか?

 千早と詩暢、周防と新の対決を通してなにを描こうとしているのか。

 ぼくはあまりメタ的な視点をとるのが嫌いなので、あまり、こういうことを言いたくないが、少なくとも、かるた対決の結末は見えている。

 まあ、三角関係についてはそれほど見えていなかったが、(ネタバレを見てしまったので)、それでも千早が太一を選らんだこと自体には驚きも、感動もなかった。

 やっぱ、原作を買うか。長すぎるので、アニメ化を待とうと思っていたのだが、置き場所に困るのだ。

 

 夜更かしついでのメモ

 ことばにリズムが先行するについて

 いつだったか?文末が単調になるのを嫌って、時制をいじるとうのが、書き手にはあるとメモに残した記憶があるが…これって、やっぱ、リズムの問題かしら?と。

 日本語は文末に時制が現れるから、しかたないのか。

 でも、そもそも時制がある程度、いい加減であっても構わない言語なのだろうか。大きく文意が変わるのでもなければ、ある程度、融通が利いてしまう気がする。いや、どの言語も、そうなのか。じゃあ、なんで時制なんてあるんだ。

 

 まあ、あと、もういっこは正直、なんのお話かも、自分ではわからない。

 なので、なにから書き始めたら、いいのかも、わかっていないが。

 記憶というのは自意識?

 その記憶とはそもそもなに?となると、それはことば?

 素人考えではなんでもかんでも言語の問題になるじゃないの?という気がしてくる。

 

 あ、それで思い出した。宮沢さんのウイルス学に関する動画がyoutubeから消えていたのが、残念だ。よくわからないので、見直そうとおもっていたら、なくなっていた。で、その動画を見ながら、ふと、思ったのが、ぼくのような素人にできることについて。それはおバカな疑問をもつことだ。専門家からすると当たり前でも、素人にはそうではないので、実際、質問する機会に恵まれることはないだろうけど、そうした疑問のひとつでも解消されたら、儲けものと思って、動画を見ていた。

 

 話を戻そう。

 結局、ことばの機能ってなんなのだろう。伝達する道具みたいなお話ではなくて…まあ、やっぱ自分でもよくわかっていないのだろう。

 文学だと事実認識と解釈の問題か。どっちもことばでやるから、ややこしいことになるのか。

 まあ、このところ、回顧というのは不思議なものだと、また、思っていた。以上のことも、また素人的疑問としてメモ。