昨日もほぼ徹夜だったのだが アニメ メモ
『ちはやふる』2期まで見終わった。
かなりおもしろかった。
気になった点
個人戦とチーム戦
これは原作者のウェイトの置き方は気になる。気になるというのは不満があるという話ではなく、作者の、もしくは、アニメ制作者の中でもかなり揺らぎがあってのではないか、と。
正直、2期の序盤はだるだるーって調子で見ていたのだが、高校選手権あたりから、ぼくもいつの間にか応援していた。少年ジャンプを読んでいた時のことを思い出した。先の展開は見えているのにおもしろい。それは対戦相手の見せ方がとてもうまいということか。
まあ、よくわからんん。
でも、個人的な感動ポイントはちょっと違うところか。
と、その前に1期の終わりで綿谷新はかっこいいなーと思った。たしか?真島太一にいっていたことで、綿谷新の世界観に天才は存在しないんだ、とわかった。ぼくは競技かるたをやったことないので、正直、才能の話はよくわからんのだが、「かんじ」(当てる字は「感じ」でいいのかしら?)という才能の存在を綿谷新は認めながら、それでも、その才能がかるたの全てではないということなのだ、と勝手に思っとる。
あ、昨日の感想で書いた勘違いはそんなに大きな勘違いでもなかったっぽい。同じ文字、たとえば「あ」でも後に続く文字で音に差異が生まれるというのは名人のお話で明らかになり、千早もそれをやっていたようだ。たぶん、アニメ序盤でもそれとなくわかるように描写していたと思う。1期だけで24話あるから、もう見返す気は起きないが。
で、微妙な差異の聞き分けるお話はとてもおもしろいと思った。競技かるたではそれは勝負の結果に直結する。が、おもしろいのはその点だけではない。
この差異は短歌の意味解釈にも関係すると思った。悲しい歌は悲しい調子、音を出すだろうし、といった具合に。
まあ、あれだ。例によって当たり前のことに気づいた。短歌は目で追うものというより、耳で聞くというか、その前に声に出して詠むものだったか。ラブレターをだれの声で脳内再生するかということでもある。
この辺の事情はだいたい、大江奏に教えてもらったようなものである。
ああ、感動ポイントを書き忘れていた。
綾瀬千早の勝負へのこだわりについて
個人戦とチーム戦の対比と被る話でもあるか。ちと違うか。
2期時点では綾瀬千早は綿谷新に勝ちたいと思っているのだろうか?若宮詩暢には勝ちたいと思っているに見える。綿谷新とは勝ち負けではなく、ただ対戦したいだけに見える。対戦というよりも一緒に全力で遊びたいのほうが評言としては的確か。
で、恋の行方とも関連すると思う。とはいえ、恋の行方の予測はこの作品と限らず、どの作品でやっても仕方ないと思う。それに恋の決着はあまり気にならない。そうでもないか。短歌のアニメなんだし、最後まで興味をもっておこう。もう少し正直に言ってしまうと真島太一と綿谷新の関係のほうが気になるかもだ。
ということで、感動ポイントはどいつもこいつもみんな愛すべきおバカであるところですね。脈絡なし。
先を見ればいいのか。つーか、なんで2期までしか配信してないんだ。
原作購入を考えたが、巻数多すぎ。
アニメの構成の仕方に関係があるのか。主役は綾瀬千早であることはわかるが、綾瀬千早と綿谷新の内面は見えにくいのに対して真島太一は丁寧に描かれている印象を受ける。なので、真島太一が一番、人間くさく見える。というか、太一が主人公に見える。
人間の反応速度について
ロンドン五輪?ありえない反応速度でフライング失格になっていた選手がいた気がするけど、記憶違いか。しかし、このアニメを見て、ありえるじゃないかというアニメ脳炸裂。
スポーツはいろいろかわっていくのだろうかみたいな。なんで、タイムを競っているのかとか。ジェンダーの問題から競技性自体変わってもいいような気もするけど、興行面で無理なんだろか。