なにかがおかしい その2
体調も万全だしと、次こそはと意を決して、『グラスリップ』に臨む予定だった。
しかし、気がつくとかるたをとっている場面をみていた。
『ちはやふる』も見たことがなかったのだ。
つーか、もしかしてネトフリには『グラスリップ』はないのか。これは後で調べてみよう。
青春×部活動×幼馴染×三角関係は「混ぜるな危険」ということだろうか。
『よりもい』にも人間が咄嗟にとってしまう行動の馬鹿ばかしさのかもす痛々しさがあった。めぐっちゃんはあの時、絶交宣言とかやりだしちゃう。どーかんがえても、咄嗟にやった後先考えない行動なのだが、当人の中ではおさえられない何かがはじけてしまったのだろう。それが青春というもんです、としたり顔でいってみたいが、あのような切実さは消えても、生きていれば、人間はバカであることには変わりないので、自分でも意味不明な行動をいくつになっても、とってしまうものだ。
で、この『ちはやふる』もこの種の痛々しさはびしびし感じる。
百人一首の思い出
ぼくももうだいぶ忘れてしまったけど、百首、暗記していた。
この思い出というか、その過去の事実自体はどーでもいいのだが。
覚えるときにやっぱ節をつけて覚えるわけで、その調子というのはなんかみんな似たり寄ったりになっていくのは不思議といえば、不思議。
ブロガーさんの音声学の話は聞きなおしてみようかと思う。
綾瀬千早の才能は音になる前の音をつかんでいるところ?これは人の息遣いを感知するということでしょう。
それと短歌は57577からなり、後につづく音によってその前の音の出し方、音程、リズムが規定されるとしたら、同じ音でも、微妙な差異が生まれ、千早はそれを聞き分けることができているのだろう。
このへんの話はおもしろいと思う。
『万葉集原論』で実はそこに一番、関心をもってしまった。しまったというのはほかにも興味深い点は多々あったの、どうしてそこ?みたいな。その成り立ちみたいな部分がぼくにはまだ不分明であるからか。
話はとんでしまうが、千早はおそらくモノマネが得意だ。耳のいいひとはきっとモノマネがうまい。視覚面ではなく、声色をまねるでもなく、トータルの印象としてのモノマネができるのではないだろうか。
くらべるのも変な話だが、自分が嫌いな人のモノマネをするとき、この場合、素人がやってしまうミスがある。わざとおどけた口調で、若干、小ばかにしたような態度でしゃべるのだ。そうすることで、このモノマネは笑えるものだという示唆になる。で、それを聞いている人は笑う。そのモノマネはまったく似ていないのに。似ていないこと自体が笑いになるかのように。
まあ、千早はそういうのとは次元の違うモノマネをできるんじゃないか、と。
美空ひばりさんが英語が話せないし、聞き取れないにもかかわらず、英語の歌が上手だったとテレビで聞いたことがある。耳がいいというお話だった記憶がある。
といろいろ関係ないことを書いたが、どうしてこの種の青春物語はおもしろいものがたくさんあるのだろう。日本のアニメの得意な分野でありそうだし。『ユーフォ』もおもしろかった。