メモ 寝たら忘れそうな寝言の記録 その11?くらい?
実際、「その11」なのかは知らない。11月なので11にしてみた。いつになるのかはわからんが、この日記を自分で読み返したとき、寝言をたくさん書いてきたのだな、と感慨にひたりとはあまり思わない。
特に理由もなく、「その11」しただけだ。
いわゆる「専門家」問題
ロシア研究者がプーチンさんがなにを考えているのか?をわからないと言っているのを見たとき、正直だとは思ったが、それを「学問的誠実」と評すのに対しては違和感があった。ものはいいようとは、まさに…(皮肉)
橋爪さんはいつだったか、何の本だったか?はわすれたが、間違ったことを言わないのが大事というお話をしていた。小室直樹と吉本隆明、このふたりの対比が橋爪さんの頭の中にあったか、否か?そこは判然としないが、妙に納得してしまった記憶がある。が、おそらく、その意図とは逆にぼくは「間違った」ことを大きな声でいう吉本に好感を持ってしまったのだ。ひねくれものたるゆえんである。
今後の推移次第で、ウクライナを西側が見捨てる展開になったとき、「正しい」ことを言うことについては再考してみたい。
ワクチン問題
いわゆる「イクラ」の人たちをあげつらうのにはぼくは反対だ。
学説の正しさは科学に元に基づいて、これからも議論を継続するしかないでしょう。こういう議論が何十年を要するのか?ぼくは知らない。
ところで、なにが問題であったのか?
それは集団的狂気の問題と思う。政府によって大規模接種会場が開設されたたりか、それ以前か?いや、多分、開設された時期に職域接種なるものも始まったと思うので、そのころになると思うが、テレビではやたらと接種をすすめていた。また、テレビ出てきそうなメディア知識人も、インフルエンサーもSNSなどで接種の報告をしていた。
この光景は異様だった。
かれらは専門家でもないのに、この新技術に対する理解があって、接種をすすめたり、接種したりしているのか?
理解していないのだとしたら、なぜ?
別に倫理的に批判をしているわけではない。不思議なことだと思って、関心をもった。といっても、この種の問題は丸山真男よって、あるいは、山本七平によって考察されているのか。そういえば、まだ、『現人神の創作者たち』を読んでいない。
メディアも、メディア知識人も、インフルエンサーも意識しているか、どうかは別にして、空気づくりをしていたのだと思う。
何度も例示に使って申し訳ないが、他に知らないので、ニコニコ動画にある少し前に話題になった選挙特番なんかが典型とは思う。
空気の読み合いから、空気づくりまで混然一体となってやっているのだろう。
そういうのと戦っている宮沢さんを尊敬はするが、ぼくは無理なんじゃないかと思っている。オウム事件、原発問題、こういうのは過去にもあった。
オウム事件のときはガキだったが、この国のおとなたちは狂っていると思った。この場合の「おとな」とはそこらへんにいる人たちのことです。まあ、後年、ぼくもその仲間入りをしたわけです。
「イクラ」というよりは、社会全体で空気をつくり、それに迎合していた。
また、こういう「空気」の問題と分科会の尾身さん的発想は別の問題と思う。官僚的発想の問題で、この種の問題も、やっぱ、丸山によって既に考察されている気がするけど、違うんだろか。
ちゃんと丸山を読んでいない。忘れちまったな。
この国の国体とはなにか?
それと今、ものを知らないこどもであるがゆえに、この国のおとなたちは狂っていると思うこどもはけっこういるのではないだろうか。いずれ自分たちもそうなるとは、まだ、気づいていないと思うが。