忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

夏アニメ メモ、クソガキ性を発揮する など

 『連盟空軍航空魔法音楽隊ルミナスウィッチーズ』

 月を背に魔法使い(ウィッチ)が飛んでいるシーンはそれだけで魅力がありました。

 宮藤、サーニャ、エイラの3人という理解でいいのだろうか。この人たちもコンビではなく、トリオなのか。

 『ストパン』シリーズにおいて、コンビとトリオの描き分けにはなにか意味があるのか?すこし、気になる。

 

 全世界の『ストパン』シリーズのファンの方々と『咲』シリーズのファンの方々を怒らせるような発言は慎むべきかと思いましたが、正直に告白いたしますと、宮藤芳佳宮永咲の区別がこれまでついていませんでしたね。

 見分け方は理解した。耳の有無に着目すればいいのか、と。ケモミミですね。

 

 話を戻すると、月と魔女の組み合わせ。これは調べてみようと思った。

 あと、サーニャという人は歌がうまい設定なのか。

 

 中年クソガキとしてひとこと

 今、統一教会に対して解散命令は許されない、社会から排除してはいけないという主張についてはぼくも、そう思う。

 しかしだ。そう主張する人たちはオウムの時はどーだったんだ?ダンマリをきめこんでいたのか。当時、解散命令に反対はしないまでも、死刑についてはどーだったのか?

 あの世というものがあるかは知らないが、もしあるなら、吉本はどんな顔をしているだろう?残念ながら、ぼくは霊界通信ができない。

 まあ、もう、その話は止めよう。

 

 いや、続けよう。特に批判というわけではなく、興味深い点はある。

 ある原理、原則から社会から排除してはいけないと言っているのか?なぜ、こういう疑念をぼくが持つか?オウムの時と対応が違ったら、そういう理解になる気がする。

 まあ、ぼくの理解が間違っているなら、そのほうがいい。

 しかし、もしそうでないなら、原理、原則に従ってのことではないとすると別の理路があるということになる。

 あ、まず、その原理、原則が何か?ということか。人権第一か。

 あるいは、理路というものはなく、好き嫌いか。好き嫌いから発言してもいいように思うが、説得力は下がる。この場合の嫌いは、「あべがー」な人たちが嫌いということだろう。

 

 ところで、信教の自由と国葬の関係はどう理解すればいいのだ。これも調べてみるか。形式として脱宗教な感じになるのか。とすると信教の自由との関連では問題ないのか。調べてみよう。

 

 ぼくはやっぱあまり常識人ではない。いろいろと知らない。わからない以前の問題である。

 

 ちょっとカチーンときてしまって相変わらずクソガキのままだな、と反省はしない。もう、諦めている。

 

 いくつまで生きているのかはわからんけど、なんとなく、これまでを人生の前半と考えるとぼくは信仰というものに目覚めることはなかったが、後半はどーなのだろ?こういうことは予想をしても仕方ない、とは思う。というか、そういうことが他にもあるな。いやいや、むしろ、人生の大半が予想できないものな気もする。

 それなのに、回顧によってなにかを諒とする場合があるのが不思議だ。

 人生のある時点が未来であるときと過去であるとき。なにが違うのだろ。

 予想できなかったようなことが起きても、回顧したときには何かしら理解している。意味を考えてしまうということか。

 眠いので、今日はここまでにしよう。書いていて、混乱してきた。

 

 教室で解決しちゃう問題と番組で解決しちゃう問題

 教室でなぜか解決しちゃう問題という話題に関心があるが、この問題もややこしそうなので、また、今度にしよう。眠い。ひとつだけ、番組で解決しちゃう問題もあるような…