雨でも散歩
帰りには止んでいた。
このところは相変わらずニュースは見ていないし、あまり読んでもいないので、まとめて今日、確認した。
よくわからない話題が出ていた。
千羽鶴を折ることへの批判なのか?それを送ることへの批判なのか?
ぼくの見た限りでは、どちらの批判にせよ傾聴に値する内容のものはなかった。
送ることへの批判はよくあるやつだったし。
折ることへの批判的考察でもあるのかと思ったのに、そういうものはなかった。いや、あるといえば、あるのかな。折り紙をしても、戦争は止まらないから無意味というような主旨の批判はそれに該当するか。
で、この批判はじつはかなりすごいことを言ってると思うけれど、その発言をした人の認識はどうなのか?祈りは無意味ということを言っていることになるのでは?というか、それ以前に祈りというものをどう理解しているのか?という問題もあるか。
祈りはなにか実際上の効果がないとやらないものだろうか?だらだら書いているとことば遊びみたいになってしまう。
効果を期待するような態度で行われる祈りは祈りといえるのだろうか…
ぼくは日常であまり祈ったりしない。そんなぼくでも、だれかが受験に行くと聞けば、合格するといいなと思うし、道でうんちを踏んずけろと念じたりする。祈念しているのだ。
お祈りしているときに効果など期待するものか、と思う。
そういう認識からスタートして、さらに批判的考察というのなら、関心を持って読んだだろう。ところが、それ以前の話題に終始している。
で、送ることへの批判は偽善批判がその中核をなしている印象だ。戦後民主主義批判みたいなものか。そこへはぼくも同じような感想をもつが、それでも、あえて批判しようとは思わないな。ぼくからみると戦後民主主義はだいぶ、くたびれた感じなっている。この際だから、木っ端みじんに粉砕しておきましょうとは思えんのだ。
つーか、そもそもこの問題をニュースで取り上げたこと自体に悪意を感じるな。こういう批判が出てくることは想定されていたはずだ。で、なんだか知らんけれど、真顔で?批判する人が出てきた。それがインフルエンサーだったりすると、また、必要以上に大きく取り扱われる。なんか、報道のバランス感覚を疑う。この話題がネット限定にせよ、飛び交っているのが変だよ。
で、ぼくは見てないけれど、テレビとかでもこの話題をやっているんでしょう…
なんなんだろ。
まあ、あと、日本にはお祈りをしている人がいるじゃないか。
それもまた話題になっていたようだが…
昭和天皇はファシストなのか?ぼくにはそうは見えない。でも、天皇の気持ちを代弁する人はファシストだったと思う。今でも、天皇のお気持ちを思うとなんたら…みたいなことを言う人はいる。天皇の気持ちを日本人がついつい考えてしまうってことはあるだろう。しかし、代弁する必要ない。それなのに、なぜか代弁する人が出てくる。これはおかしいと思う。
昭和天皇自身はファシストとしてふるまっていたということはないだろうが、そのように機能してしまったところはあるような。
これは東條英機についても同様のことが言えるような。
ふたりとも戦争に前向きでなかった。
とか書いていると、お前は極東軍事裁判(東京裁判)を認めないのか、と問われそうだが、この裁判を受け入れて、国際社会に復帰できてよかったと思っている。政治的な解決と真偽は別ということになるだろうか。
政治問題と歴史問題の違いという見方ができるのかも。
あれ?この問題に反発が強かったということは日本人の中では昭和の戦争はいまだに政治問題であるということか。韓国ではいまだにそれは政治問題なのだと思う。
歴史問題化するほうがいいような気がするけれど、それはそれで別の問題が出てくるのかも。
書いていてよくわからくなってきた。
まあ、あれだ。小林秀雄が言う「歴史」みたいなものは無視できんとぼくは思うので、真偽が明らかになっても、なおもやっとしたものは残るだろう。そういうところを捨ててしまっていいものか?という疑問。
ああ、小林秀雄で思い出した。かれは母親というものがこどものことをすっかりわかっているみたいなことを言うのだが、こういうことをなんのてらいもなく言えちゃうのがぼくは苦手だ。『スパイ×ファミリー』の感覚のほうがぼくは好きだ。
でも、小林のいう「歴史」というものは母の目になって見るということだった記憶があるが、それはそうかもなと思ったのである。ぼくが犬を思い出すってのはそういうことだろう。
脱線しすぎ。
魅力のある男性主人公について
ぼくはオネーギンがけっこう好きだけれど、これは、昔、あまり同意してもらえなかった。
シラノは魅力的なような気もする。
あとは原田甲斐も。だからアシェラッドは人気があったと思うのだけど。
ぼくの好きなアニメだと、キリトもかっこいいと思う。
衛宮士郎は『HF』が一番、魅力を感じる。
カズマはかっこよくないけれど好きだ。
とくにこれといってぼくの好みに傾向はなさげだ。
つーか、好きと書いておいてなんだが、ぼくはキャラにはそれほど関心がない。キャラが好きで作品を好きになることがない。
キャラ愛から作品愛へみたいな経路はたどらないな。
その逆、作品愛→キャラ愛はあるかもだ。