忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

最近知ったことばなど

 太一厨、新厨

 そうすると、ぼくは(雪ノ下)陽乃厨で、(若宮)詩暢厨となるのか。

 余計なお世話とは思うが、大江奏は恋愛戦で真島太一の敗北を予感したから、応援したのだと思う。なので、結末を根拠にして、当時、すでに綾瀬千早の中では太一を選択することが決まっていたという解釈には、ぼくがこの物語を恋愛モノとは見ないとはいえ、少々、無理があると思える。

 

 それと太一の抱いた恋愛感情について、これもまた余計お世話を承知で少々、書き添えておくと、千早を幼い時から、それこそ、新よりも前に好きだったというのはそうだろうと思うが、その気持ちを一番煽ったのは、他ならぬ新の存在であっただろうということだ。新を想う千早に恋をしたのが太一とぼくは理解している。

 NTRですね。

 というのは半分、冗談だが、これは確か、柄谷による漱石『こころ』解釈だったか?先生はKが静を好きだと知って、そこから妙に静を意識し始めるといった解釈だったか。くわしいことは忘れてしまったが、なにぶん10年以上前に読んだだけなので…要は他者の欲望に自分の欲望を重ねたといような主旨であったと思う。

 相思相愛に見えた千早と新というカップルの存在なしに太一の恋愛感情は育たなかっただろうとは思う。

 まあ、余計なお世話ですね。

 ともかく、千早、新に比して、明らかに太一は内面の描写が充実していたので、というのはアニメ2期にお話を限定すればという前置きはいるが、ともかく、恋愛面の結末には違和感はない。

 

 ただ、まあ、個人的な感想として、物語の始まり方としてはかなり見事で、その点だけでもぼくの中ではこの作品のアニメ1期はかなり好き。

 なので、アニメ1期厨ということになるのか。

 それにキャラだと若宮詩暢が好き。しつこい。

 

 続・私秘性について

 ぼくが私秘性をやたら重視しがちというのは倒錯なのだと思う。

 認識に倒錯がある。

 で、これはなにゆえそうなってしまうのか?

 思い付きとしてはことばの獲得か。言語の獲得。

 ことばというもの自体にそう倒錯を生む構造があるのだろうというみたいな。

 しかし、これは与太話か。言語獲得以前の人間に私秘性はあったのか?

 で、こう理解するとますます私小説が変なものに思えてくるので、おもしろい。ことばを口にすれば、文字にすれば、もうそれだけで十分に私秘性が発揮されるのに、ものすごく過剰なエネルギーを注いで、自分語りをしているかのような印象を私小説が帯びだす。私小説はどことなく「違うなにかを達成しまった系」にも思えてくる。別な言い方をすると、狭い入り口から入って、広い出口に至るのが私小説の不思議なところ。これは自分(読者)のことが書いてあると、実際にはそんなことはありえないのに、勘違いしちゃう程度に不思議なのだ。

 さらに上記を敷延してもうひとつ与太話。

 他者理解を支えているのは逆説的に私秘性なのでは?という与太仮説。