渾身の逆張り、というほのもでもなく その2
『ちはやふる』の太一厨を少し誤解していた。
太一厨も決して一枚岩というわけではなく、太一を「信頼できない語り手」と解釈する分派?ある?
ぼくはそういう読み方はしないけど、おもしろいとは思った。
そもそも、ぼくは新厨でもないから、部外者だ。
恋愛モノとして、この作品をみていないが、もし、そう見るなら、新を想う千早に恋をする太一という理解をしている。とくに、自分以外のだれかにこころを奪われている人に恋をするところに重きをおきたい。
そう理解すると新の性癖の行方が気なるが…
一方で、太一を「信頼できない語り手」とすると…太一の性癖?
まあ、これは「太一は信頼できない語り手」説を唱える人にお任せしよう。
しかし、なんだろう。太一の脳内設定だけでNTRということよね。太一の頭が心配だ、ということはない。が、物語解釈が入り組んでめんどくさそー
『86』について
finalventさんがいつだったか、言及していた。
ぼくはこの作品をテレビ放送時に見ていた。なので、放送延期となった最終盤を見ていなかった。さっき、そこだけ見た。そういえば、この作品のタイムスケジュールがおかしなことになったのも、コロナだったのかしら。
忘れかけていたけど、見てよかった。終わり方は声だけの関係だったから…というのをうまく使っていた。うますぎじゃないかとは思うが。
当初、ぼくは本作を誤解していた。被差別民の生を情感豊かに描くことで、現代をボケーと生きる人、まさにぼくみたいな人の目を覚ます、ある種の現代社会批判を内包した作品と序盤を見て思った。しかし、少なくとも、そういう社会批判ではなかった。
別の社会批判性はあるか?
あると思う。
頭の中が整理できていないので、思いついたことを適当に書いてみよう。
『きけわだつみのこえ』の話題を見かけた。吉本隆明はこの著作の編集方針を批判していた。先の戦争に大義を感じ、自らの意志で死んでいったものたちの声も併載せよ、というものだったと思う。
三島もそう思っただろう。
戦後民主主義的価値観への疑義。
『86』はこの意味で、非常によく戦後民主主義的価値観が反映された作品になっているように思える。
ぼくの頭の処理能力を超えちゃっているので、即断できないが、『86』は戦後民主主義的価値観を肯定しているのか?否定しているのか?はよくわからない。時間をかけて、見直して考えてみたい。のりかかった舟なので。
見直す際のポイント
主人公シンの異能、死者の声が聞こえる。三島なら「英霊の声」と言っただろう。
シンは日本人を象徴している。死者とうまく向き合えない戦後の日本人。こうかくと、まるでうまく向き合えることが可能のように思われるが、はたしてそうか?
しかし、『敗戦後論』ではこの問題を扱っていた。
シンが死者の声を代弁する黒羊を殲滅するさまは鎮魂のように描かれる。
シンの異能と黒羊と設定はこの作品の肝かと思う。
『きけわだつみのこえ』で無視した声がある。本作ではそれを黒羊の声として描いたと見る。それを聞き取り、ひたすらその殲滅に励む異能の人、シン。なんだ、これ?という話。鎮魂ではあるが、それだけか?
シンは死んでいった者たちの後を追いたい。この辺をどう解釈すんべ?となるか。
シンたち、86区にすむ人間は共和国内で差別状態に置かれる。この共和国は建前の理念は立派だが、内実は腐りきった異形の国家。日本と見るなら、社会批判性があるということになる。ぼくは今はまだそこは突き詰めて考えていない。
しかし、この国家の描写なんかうまいと思う。理念に酔っ払った国家の腐り様とか。
「けだるい平和」という評言は今でも、おかしいと思うが、日本は戦後、矛盾を孕んだまま、なんとく過ごしてきたというのはある。プーチンさんの最近の日本へむけた発言の一部は戦後日本が抱える矛盾から目を逸らすなという含みがあり、日本人をイラつかせたのだろう。
この共和国がクソなのは、矛盾から目を逸らし、崇高な理念に酔っ払って腐りかけていると見れば、日本かもだな。というと、右派にも、左派にも怒られちゃうか。まあ、いいや。
こうやって書き連ねてみると、『86』はすごく日本的な作品なのかも。『コードギアス 反逆のルルーシュ』も同じように日本的だと思った。
『86』のような作品は戦後民主主義のたまものだと思うな。
アニメにおける描写については、スピアヘッド小隊の仲間がひとり、また、ひとりと戦死していく様子を情感を込めて描くのだが、まあ、日本の滅びの美学を思わせるが、少々、ぼくは苦手、というぼくの感想も実に日本的なのだろう。
しかし、それもあって、この作品をおもしろいといっていいのか、どうか、ちょい迷う感じ。
21~23話をさっき見たが、物語にちゃんと一区切りつけていた印象。続編もやってほしいけど、どうなのだろう。22、23話はたぶん、初見。23話は絶対、初見。
『硫黄島からの手紙』は見たけど、『父親たちの星条旗』は見ていない。どんな作品なのだろ。
『86』の原作者、同年代だった。驚きはない。まあ、ぼくの世代くらいまでは肯定しようが、反発しようが、戦後民主主義の影響下にあるよなと思う。
非常に親近感がわいたので、原作を読んでみようか。時機を逃すと町の本屋ではないこともあるのが…アニメ放送時に買っておけばと後悔することがしばしばある。
こんなことを書いていると、ぼくは戦後民主主義に反発した側の人間と思われるかもしれないが、確かに、その通りだ。
しかし、最近になって戦後民主主義の価値観はすごいなとも思うようになった。その根本にある命は大事というもの。が、これほど、実際、ことばにすると嘘くさくなるものもないと感じるので、どーしたもんんか。
ああ、そういう意味でも、『86』はすごい作品なのかもだ。要再検討。
先日、書き忘れたこと
正体を明かすことの倫理性
ぼくはこれがわからない。
正体なんてそもそもないよともいえるけど。なんていえばいいのか?
ネットの匿名性に関する議論なんてくだらないと思える感覚。匿名であろうと、なかろうと晒されているんだよと思える。
なので、ぼくは細田監督の作品をちゃんと理解することはできないという予感があるので、日記にもあまり書かないし、書けない。でも、好きなのでけっこう見ている。