忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

記録 メモ

 話題の選挙特番

 動画はぼくは選挙当日の深夜に見た。その時は話題になっていたか、どうか。たぶん、話題になっていたのだろう。まあ、見なければよかったと後悔した。

 いなくなった人の批判が始まるというところは、たぶん、番組の形式によるのではないか。見ていていい気分がしないというのは確かだが、形式上、そうなってしまったという感じだろう。まあ、どちらにしろ、選挙特番とかおもしろくない。

 それにその場から、いなくなった人の批判やら悪口は人類の娯楽なのかも。学生時、さっとシャワールームに行った。きっとぼくの悪口を言っている人もいたと思いたいが、そこまでの存在感もなかったかもしれない。なお、気を遣って、ささっとシャワールームに行ったわけではなく、ぼくは単に水浴びが好きなだけだ。

 それと急に不機嫌になるみたいなのは、これはなんかのスイッチが入るというか、モードの切り替えというか、そういうのだろう。たとえば、どういうわけか、ぼくも反抗期の頃、家に帰ると不機嫌モードになっていたりした。まあ、この問題はややこしそうなのでほっておこう。当時のことを思い出すと恥ずかしすぎて、鼻血ブーですね。

 とりえあず、突然、怒り出すみたいなのはテレビ文化の延長に思える。話が明後日の方向にいってしまうが、まだまだ、オールドメディアであるテレビの優位性を感じる。視聴態度の形成のされ方として、テレビに優位があるという意味。要は、突然、怒り出す人を見て、おもしろがる文化があるということ。

 

 陰謀論批判が陰謀論的色調を帯びる問題

 番組内で問題視された発言、つまり、殺人の正当化につながる発言という解釈自体がちょっと飛躍しすぎ。そういうジャンプが陰謀論にもあるんじゃね?という。

 ぼくよりも頭の精度のいい人に考えてもらいたい。

 っちょっとだけ上記のモードの問題にも関連するか。巷にあふれている陰謀論についていえば、はじめのうちは冗談として受容していたはずが、真顔モードに切り替えてしまったみたいな。あ、陰謀論は論理の飛躍ではなく、モードの切り替えの問題なのかも。

 もう少し違う論点としては巷にある陰謀論はだれかを懲らしめてやりたいという思いが根底にあるような。当該発言についても懲らしめてやりたいというか、粗探しを目的として解釈すればみたいなところはあるのか、ないのか。まあ、でも、それはぼくからはわからんので、知るよしもなし。

 

 やっぱわけわからなくなってきた。

 そもそも、人間のやることは他者から見て複数の解釈可能性がある。

 それがあるから質疑が必要なのか。ことばのやり取りが必要なのか。すると、やっぱ、番組の形式の問題だろう。時間で切ってしまった。

 

 タブーについて

 なんかタブーであることにそれほどの意味がないなら、タブー視するのは止めたほうが、陰謀論の温床にならずに済むとは思うが…

 宇宙人陰謀論とかもけしからんとかなるとそれはちょっと悲しい。これは杞憂か。

 

 モードの切り替えについて

 平和ボケとかも、そうかしら?

 頭の中が桜並木なので、砂漠モードにしようみたいな。無理だな。桜並木のままだ。

 

 ぼくは夏アニメを見なくてはいけないので、この話題はもう考えるのは止めよう。

 それとネットでは特定の話題を避けようと思っても、なかなか難しいものだな。