忘れないうちに書いておこう

タイトル通りの内容。

このところ、ごはんを食べ過ぎて

 アニメを見ようと思っているうちに睡魔に襲われ、寝てしまう。

 

 私事でもちょともたついていた。

 昨日、父が入院したと連絡があった。電車の中で携帯が鳴り、それで降りて、でてたら…

 彼に最後に会ったのはいつだったか?

 口を開けば余計なことを言ってしまうと思い、そのときは握手だけして、なにもしゃべらずに帰ってきた。うむ。

 火曜に医師から説明があるとのことだった。急を要する容態でないのはわかった。明確に言われなかったが、お前も来いというぼくへの催促だろう。すっぽかしたくなってきた。

 今更、クソ息子の顔など見たいものだろうか。「よっ、ひさしぶり!」みたいなノリで行けばいいか…ぼくはこういうことをやろうと思えば、(へたっぴだけど)できちゃうクソ野郎なのだ。

 とりあえず、明日、アニメ見ながら、どうするかは思案しよう。

 

 世相について

 入院の連絡がきたとき、電車の中でざわつきがあった。ぼくは電車内ではボケーと外の景色を眺めることにしているので、実はそのときには何も知らなかった。

 で、あとでびっくりした。

 現時点ではわからないこと多いので、事件については判明していること以上に書けることはない。

 ツイッターをみると…

 ただ、やはり世の中には冷静な人がいる。そんな人たちのことばを目にすることでぼくは変に興奮することはなかった。

 そのことばに対する自分の理解を今日は記録として残しておこう。

 現時点で、テロと言えるのか?すでにそう断定的に解釈し、「民主主義への挑戦」、「言論封殺」と言っている人が散見される。そこへは疑問がある。怨恨だとすれば、テロではないのだから、民主主義への挑戦とはいえないのでは…

 むしろ、多くの人が「民主主義への挑戦」と叫ぶ状況は少々、危ういのでは。

 左派と右派もなんか対立しているのか。インフルエンサーの人も参加しているようだ。ぼくはこういう論戦は苦手だ。だれが悪い、かれが悪いといった倫理非難合戦には距離を置きたくなる。なので、しばらくテレビ、インフルエンサーのツイートなどは見ないと思う。(もとから見ないし、ツイッターはいまだに始めていない。)

 すこし脱線してしまうが、今回も感じたこと。ぼくから見るととても大事なことを言っているツイートはなぜ「いいね」が少ないのか。ツイッターという技術は妙な姿を顕現させる。「いいね」がたくさんついているものも、なぜたくさんの共感をうるかはなんとなくわかる気もするが、たぶん、この社会を安定させているのはそういうツイートではなく、あまり「いいね」がついていないものではないのか…

 小沢一郎さんの発言を見て、ぼくのほうが間違っていたのかも…とは思った。小沢さんの発言の全てに同意できるわけではない。ただ一点、今の日本の社会はおかしなことになっているのか?ぼくはなっていないと思っていたが、その思いは間違っていたのかも。よくわからん。あと、自民党長期政権化の弊害とかはよくわからない。でも、小沢さんは戦後の混乱期を知る世代の人でもあるだろう。

 うーん。やっぱり社会は壊れていないとなんとなく思う。今日も公園には人がいっぱいいたし。ぼくもそこでのんびり過ごした。暑かったけど、家でテレビにかじりつくよりはましかもと考え、出かけたのだ。

 ともかく、小沢さんの発言は無視すればいいというようなものではないと感じた。

 

 明日は眼鏡を新調したので、取りに行く。夜空の星がだいぶぼやけていたので、すこしははっきり見えるようになるだろう。それが楽しみ。あと、アニメも鮮明に見えるようになるかも、『平家物語』を見直してみよう。映像がきれいだったので。

 映画に行くのもいいかもだ。

 

 あ、忘れかけていた。明日は選挙か。まず、期日前投票なるものはしない。また、ここ数年の投票行動に変化はない。政党名、政策は一切、考慮せず、性別→年齢の順に見て、投票している。

 

 先日の論争について

 ぼくは論点をわかっていなかったようだ。物象化は商品化というところをわかっていない。0円スマイルは変だとぼくも思う。

 が、ぼくもケーキ屋でバイトしたとき、ニコニコしていたと思う。

 帰りにケーキもらえるので…今日はなんのケーキもらって帰ろうかな?みたいな。まあ、それだけでニコニコしていたわけじゃないけど。とりあえず、ぼくのスマイルは0円ではなかったということか。それに問題は0円スマイルとことばにするセンスにあるのか。